2017年2月12日日曜日

 「梅若菜」の巻の続き。

二十五句目
   身はぬれ紙の取所なき
 小刀の蛤刃なる細工ばこ       半残
 (小刀の蛤刃なる細工ばこ身はぬれ紙の取所なき)

 蛤刃(はまぐりば)というのは、刀などの断面が通常は直線的なのに対し丸くふくらみを持たせたもので、刃先の角度が鈍くなる分切れ味は落ちるが、強度が増すのと切ったものが刀身に張り付きにくくなる利点がある。硬いものを叩き切るときなどに良い。今日ではコンベックスグラインドとも言い、サバイバルナイフなどに多いという。
 武骨な蛤刃の小刀は細かい細工には向いてないから、これは職人ではなく素人が細工箱に似合わない小刀をしまっているということで、これじゃ濡れて張り付いた紙をはがすことも出来ない、とう意味なのだろう。
 『猿蓑付合考』(柳津魚潜著、寛政五年一月以降成)の「取所もなき物ぐさきおとこの細工ばこならん。」というのが一番当たってるのではないかと思う。刃物の知識もなしに適当に道具箱につめているといったところだろう。
 『標註七部集稿本』(夏目成美著、文化十三年以前成立)に「職人尽哥合第三、硎、いつまでかはまぐりばなる小刀のあふべき事のかなはざるらん。」とあるが、いろいろ検索してみているけど、今の所はどの職人歌合せなのか不明。いくつかの古註はこの歌を引用しているが、本歌かどうかはよくわからない。

無季。

二十六句目
   小刀の蛤刃なる細工ばこ
 棚に火ともす大年の夜      園風
 (小刀の蛤刃なる細工ばこ棚に火ともす大年の夜)

 園風も伊賀藤堂藩士。
 今の神棚の元となる伊勢のお札を祭る大神宮棚が普及したのは江戸時代中期で、それ以前の神棚は基本的に仮設のものだった。大晦日に歳神様を祭る棚も、お盆の精霊棚のようなものだったのだろう。
 蝋燭が量産され、庶民でも手軽に買えるようになったのも、おそらく江戸中期からだろう。それ以前は行灯のように油を燃やすか、松脂などを利用したのだろう。小刀はそのとき、薪にする松や竹などを燃えやすいように小さく切るのに用いられたのかもしれない。
 古註は「古」といっても江戸時代中期以降なので、その辺の前提の違いが理解できずに、貧しい家の小さな神棚を想像し、切れない小刀でせわしく神棚をこさえている情景としている。

季題は「大年」で冬。盆が釈教でないのなら、正月の歳神様を祭るのも神祇とはいえないだろう。

二十七句目
   棚に火ともす大年の夜
 ここもとはおもふ便も須磨の浦    猿雖
 (ここもとはおもふ便も須磨の浦棚に火ともす大年の夜)

 猿雖は伊賀上野の商人で元禄二年に出家したという。
 「ここもと」は「此処許」でこのあたりのこと。「須磨」は「済まぬ」と掛詞になるが、これは和歌ではよくあること。いとしい人から便りは来てもここ須磨の裏ではすっきりしない。そうこうしているうちに棚に火をともす大晦日となる。『源氏物語』「須磨」の巻の良清の朝臣の心情を本説にしたものであろう。棚は住吉の神を祭ったものか。猿雖は貞享の頃からの門人のせいか、付け方が古い。
 ただ、『源氏物語』の本説は同じ『猿蓑』の「市中は」の巻にも、

   魚の骨しはぶる迄の老を見て
 待人入し小御門の鎰(かぎ)    去来

の句があり、前句の老人を『源氏物語』「末摘花」の巻に登場する門の鍵の番人の老人と取り成しての、本説付けになっている。一巻に一句くらいはあってもいいし、芭蕉も嫌ってなかった。
 単に流人の心情を詠んだとも取れるから「面影」と言えなくもないが、それにしても王朝時代の話で元禄の風情ではない。

無季。「おもふ便」は恋。二十三句目の「恋」から三句隔てている。

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