芭蕉が四季をどう捉えていたかは、『笈の小文』の冒頭の部分に記されている。
「しかも風雅におけるもの、造化(ぞうか)にしたがひて四時(しいじ)を友とす。見る処花にあらずといふ事なし、おもふ所月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。」
ここでいう「四時」は「四季」と同じと見ていい。春夏秋冬あるなかで、特に春の「花」と秋の「月」とを挙げているのは、俳諧では月花の定座があり、他の季題とは違う特別な扱いをされているからだ。
春夏秋冬、季節の移ろいを友として生きる時、「花」は単に春に咲く桜の花のことではない。花は物理的生物学的な「花」を意味するのではなく、同時に比喩としての花であり、比喩としての花はいわば「心の花」だ。
時は移ろい咲く花もすぐに散ってしまうが、心の花は散らない。それは物質としての花ではなくあくまで比喩としての花だからだ。
花の定座にも、実際には桜の花ではなく比喩としての「花」でも正花として扱われる言葉がいくつかある。「花火」「花嫁」「花相撲」「花燈籠」「作花」「花鰹」「華やか」なども正花になる。現代なら「花の女子大生」や「花のOL」でも正花だろうか。
連歌でも「にせものの花」と呼ばれ、水無瀬三吟では「法(のり)の花」という言葉が出てくる。「心の花」もにせものの花になる。
花月、花鳥風月、そのほか様々な季題にしても、必ずしも自然現象や人事を意味するだけでなく、比喩としての季節が大事であり、むしろ比喩の方がその季節の本質とされている。
季節の心というのは、基本的には易経の「春に万物を生じ、秋に止む」という、四季を生命の循環に例えたもので、春に生まれ夏に盛りを迎え、秋に年老い、冬に死ぬ、ということが基本になる。
こうした比喩は温帯地域に暮らしている人からすれば、多くの一年生の植物が春に芽を出し夏に育ち秋に衰え、冬に枯れ果てて行くのを常に目の当たりに見ているし、落葉樹もまた春に芽を出し秋に落葉し、冬に枯れ木となるのを見ている。これを人間の一生に喩えるという発想も、何ら珍しいものではないし、どこの国が起源なんてこともなく、温帯地域の人なら誰でも思いつくことだと言ってもいい。少年から大人への階段を登る頃を「青春」とよび、働き盛りの時代を夏に喩え、老いてゆく姿に天下の秋を重ね合わせるというのは、ほとんど自然発生的に誰もが思いつくことで、それゆえに特定の文化伝統を超えた「不易」として認識される。
恋を四季に喩えるのも同様だ。春に出会い夏に燃え盛り秋に別れ冬に一人淋しくというのも、誰が発明したというわけでもない。温帯地域に住む人間としては自然な発想だ。
その中で移ろい行く季節の中で最も生き生きとして価値のある美しいものを「花」と呼ぶのも自然な発想だ。「恋人を最初に花に喩えた人は天才だ」と言った人がいたが、恋人を花に喩えるのに天才の出現を待つ必要などない。そんなことは誰でも思いつくことだ。
昔の人は四季の持つこうした比喩としての情、本意本情を日本人だけがわかる特別なものなどと思うことはなかった。それはまさに「不易」の情で、時代や民族を超えた普遍的なものだと確信していた。その情は文明人であれば誰しも共有できるもので、そうでないなら「鳥獣に類ス」だった。
道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり 芭蕉
の句にしても、槿の花は人間からすれば「一日にして自ら栄となす」という比喩を読み取ることが出来るが、馬にはそのような比喩などわかるすべもなく、ただ食料として食べてしまう。
さて、日本人が日本の季節の美しさを賛美する時、それがしばしば外人にはわかるまいというナショナリズムに結びつくのは、「鳥獣に類ス」の前にある「像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし」の部分だろう。心花にあらざれば「鳥獣」で、像花にあらざれば「夷狄」とするその差は一体何だろうか。一見してわかるのは「心」と「像」、字が違うということだ。
「像」というのは形を表す「象」に人偏がついているように、人間から見た「かたち」つまり「似姿」のことを言う。これは「表現」と言ってもいいだろう。心の中に花があるかどうかは直接は見えない。それを形に表現した時、花の有無は判断できる。つまり生活の中で盛んに季節の比喩を用い、花や月の心を表現しているかどうかが「夷狄」かどうかの分かれ目になる。季節の様々な事象を比喩として表現し、生活の中に溶け込ませているというのが、昔から日本人にとっての「花」だった。そう考えて間違いないだろう。
四季の移ろいは温帯地域ならどこにでもある。だが、それを比喩として生活に溶け込ませているのは明らかに文化だ。青春があって老いてく姿に秋を感じ、春に出会って秋に別れる恋がある。そこまでなら温帯地域ならどこの国の人でも思いつくことだろう。それは恋人を花に喩えるようなものだ。ただ、日本人はそれを連歌俳諧を通じて季語の体系を生み出し、日々の話題にする文化を作り上げた。それは誇ってもいいだろう。
勿論こうした文化は韓国にも中国にもある。彼らもまた美しい四季のある国に生まれたことを誇る権利がある。西洋にもこれに類するものがあるのなら、やはりそれは誇っていいだろう。これらは文化であり、必ずしも同一ではない。しかし同じ人間である以上、それほど大きくかけ離れてはいないだろう。ただ、比喩であり文化である以上、互いに理解し難い部分があってもおかしくはない。
人間の心は長い進化の歴史の中で獲得された遺伝的なもので、それゆえ「不易」である。これに対しそれをどのように表現するかは文化の問題で、それは時代や地域によって異なる「流行」である。それを理解することが、偏狭なナショナリズムに陥ることもなく、かといって自らの文化伝統に自虐的になることなく、他の文化との相対性を理解しながらその価値を自覚してゆく道なのではないかと思う。それがまさに芭蕉の「不易流行」の心だと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿