ちょっと前までは春が来たなと思う頃になると、家の前にどこからともなく猫がやってきて、猫同士がかちあったりすると、「おわあああああーー」「うわうおおおおおーー」と喧嘩をおっぱじめたりするものだった。ここんとこ、この声を聞いてない気がする。
猫のもたらす毎年恒例のこの行事を、昔に人は「猫の恋」と呼んだ。あれは発情の声というよりは、雌のもとに通ってくる雄猫たちの喧嘩の声だ。
猫の恋を詠んだ句はたくさんある。
まず猫が通ってくる。
猫の妻竃(へつい)の崩れより通ひけり 芭蕉 「江戸広小路」
京町のねこ通いけり揚屋町 其角 「焦尾琴」
そして声を上げる。
猫の恋初手から鳴きて哀れなり 野坡 「炭俵」
あたまからないて見せけり猫の恋 枳邑 「二葉集」
我影や月になを啼猫の恋 探丸 「続猿蓑」
おもひかねその里たける野猫哉 巳百 「続猿蓑」
いろいろの声を出しけりたはれ猫 穂音 「一幅半」
田作りの口で鳴きけり猫の恋 許六
浮かれる。
石磨の音にうかれつ猫の恋 孤松 「幾人主水」
まとふどな犬ふみつけて猫の恋 芭蕉 「茶のさうし」
猫の恋のぼりつめてか屋根の音 信昌 「一幅半」
恋に迷う。
ふみ分て雪にまよふや猫の恋 千代女
行衛なき恋に疲や船の猫 擧桃 「花の雲」
うき恋にたえてや猫の盗喰 支考 「続猿蓑」
麦めしにやつるゝ恋か猫の妻 芭蕉 「猿蓑」
喧嘩する。
うき友にかまれて猫の空ながめ 去来 「猿蓑」
にくまれてたはれありくや尾切猫 芦本 「皮籠摺」
懐旧。
懐旧や雨夜ふけ行猫の恋 千那 「鎌倉街道」
ははき木の我が影法師や猫の恋 斗曲 「北國曲」
邪魔される。
手をあげてうたれぬ猫の夫かな 智月 「卯辰集」
のら猫の恋ははかなし石つぶて 等年 「西國曲」
雨だれの水さされてや猫の恋 化光 「北國曲」
終わり。
猫の恋やむとき閨の朧月 芭蕉 「をのが光」
うらやまし思ひ切る時猫の恋 越人 「猿蓑」
盗して見かぎられけり猫の妻 乙由 「皮籠摺」
羽二重の膝に飽きてや猫の恋 支考 「東華集」
傾城の生れかはりか猫の妻 木導 「韻塞」
今や地球的規模で猫のエンクロージャーが進行している。いわゆる野良猫は駆除され、飼い猫は家の中で飼われて外に出ないようにされている。
日本やアメリカは野良猫の収容施設があり、引き取り手がなければ殺処分される。ドイツではそうした公的施設がないため、その場で射殺されているという。ドイツで民間のティアハイムが盛んなのは公的サービスの欠落によるもので、野良猫はボランティアに保護されるか殺されるかのどちらかだ。
もう三十年以上も前だろうか。鹿児島の大隅半島を夜にドライブした時、漁村の集落に入ると夥しい数の猫が道路脇に出てきていて、目が点々と光っていた。最近夜の西伊豆を走ることがあったが、そのときは一匹の猫にも出会わなかった。
東海道や古代東海道など街道ウォーキングで一日二十キロ三十キロ歩いたりしても、二、三匹猫に出会えればいいほうで、一匹も見ない日もある。
かつて当たり前のようにいた路地裏の猫は、今やすっかり見ることも稀になった。
猫の島というのがネットで話題になって、そういうところには世界中から観光客が来る。逆に言えばそういう島はもはや世界でも稀で、それこそ最後の楽園なのかもしれない。
これに対し、猫を共有財産(コモンズ)と位置づけて、地域で猫を共同飼育する地域猫の活動も起きているが、猫嫌いの住人との間に軋轢があることは否定できない。
このままでは「猫の恋」も忘れられた季語として消えてゆくことになるだろう。
「殺処分ゼロ」なんて言葉だけが踊っているが、現実には殺処分されるような猫そのものが年々いなくなっているということが見過ごされている。
昔は、
猫の恋やむとき閨の朧月 芭蕉
これからは、
猫の恋やむとき猫のない世界
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