2017年2月26日日曜日

 連歌は句を付けるさいに、適度の難易度を調整してゲーム化する過程で、様々なルールが定められてゆき、それは「式目」にまとめられていった。俳諧に明確な式目はないが、おおむね連歌の式目に準じてきた。
 ただ、俳諧を面白くするためにはただルールを杓子定規に守ればいいというものではなく、ルールをきわどい所でかいくぐってみたり、多少の違反は流したり、それだけでなく歌仙という短い形式にあわせて去り嫌いのルールが簡略化され、連歌の五句去りが俳諧では三句去りになったりした。
 また、俗語の使用についても、最初の貞門の俳諧では一句に一語と制限されていたが、蕉門においては無制限になった。これによって俗語ではない雅語の部分に関して一々頌歌を引いてきて正しい雅語かどうかを検証する手間がなくなり、雅語を知らない人でも気軽に参加できるようになった。
 季語というのも、本来は連歌をゲーム化してゆく過程で、句材を様々に分類する中で生まれたもので、連歌では季節の言葉だけでなく、山類、水辺、居所、衣装、植物(うえもの)、獣類、鳥類、虫類など、細かく分類され、それぞれに去り嫌いのルールが定められていった。これは簡略化されながらも俳諧でも受け継がれていった。
 ただ、こういった季題の分類の中で季語が特殊な位置を占めたのは、それが発句に必要なものとされ、いわば連歌や俳諧の興行の開始の際の挨拶に用いられたからで、季語の心は基本的には季候の挨拶の心だというのはそういう事情による。
 挨拶として日常的に求められる以上、季語は単なる自然現象を言い表す言葉ではなく、春に万物を生じ秋に止むという生死の循環の比喩を含み、花が咲くのを喜び月に涙を流し、様々な古典作品に表れた季語の心を受け継いで日常的なコードとして用いるようになった。
 「春だねえ」という言葉は喜びを含み、「秋も深まったなあ」といえば寂しさを含む。「桜が咲いたね」と言えば春もまさに今がたけなわ、「月が綺麗だね」といえば秋の澄んだ空のように澄んだ心を表す。
 自然を比喩として用い、日常の会話に取り込んでコード化してゆくということは、もちろんいつの時代にもどこの民族でもやっていることだろう。ただ、その内容はその土地の生活や風土によって微妙に異なってくる。
 「槿」は日本では「一日にして栄を為す」のはかなさとはかない命への満足をメタファーとするが、韓国人はむしろ根絶やしにしようにもできないそのしぶとい生命力のメタファーとして国花としている。こうなると、韓国人の槿の心は日本人には理解しがたい韓国人独自のコードとなる。
 日本人の季節の心が西洋人にわからないとすれば、それは日本人の長い生活から練り上げられたコードだからで、もちろん西洋人が西洋の四季に対して持っている感情は日本人には計り知れないものもたくさんあるだろう。こういうのは「お互い様」という感覚を持たなくてはいけない。相手の国のことを深く理解すればこうした違いというのはそのうちわかってくるものだが、一朝一夕というわけにはいかない。外国人が日本の四季の心を理解しないからといってもあせってはいけない。こういうのは時間を要することだ。
 今の脳科学ではどうなのかしらないが、昔は例えば虫の音など日本人は左脳で聞き、西洋人は右脳で聞くなんてことがまことしやかに言われていた。日本人が虫の音を左脳(言語脳)で聞くとすれば、それは虫の音を単なる自然現象として聞くのではなく一つのメタファーとして捉えているからといえよう。日本人でも外国に行って初めて聞くような虫の音や鳥の声に接したら、そこには何のメタファーもなく、単なる自然の音として聞くことになるだろう。
 時代が変われば同じ日本人でも失われたメタファーはある。

 古池や蛙飛び込む水の音  芭蕉

のような当時の多くの人に響いた言葉も、芭蕉の死後かなり早い時期に既に意味不明になり、神秘化されてゆくことになった。そして明治になって正岡子規が、これはマイナーイメージで水の音に静寂を聞きつける句だということで、大体近代的な解釈は固まっていった。
 逆に夕焼けや満天の星空などは江戸時代の人はほとんど関心を持ってなかった。単なる自然現象として扱われ、深い心を込めたメタファーとなることはなかった。
 日本人が四季の移ろいに感じていた心は、実は時代によってもかなり大きく変わってきている。だからこそ、昔の俳諧を読むことは難しく、わかったときの感動も捨てがたいものとなる。
 季節一つとってもこうなのだから、いろいろな文化の異なる民族が共存するというのは簡単なことではないし、いろいろな軋轢が生じるのは当然なのだということは認識しなければならない。こうした問題の解決のヒントは、メタファーを読み解く楽しみだと思う。わからないから排除するのではなく、わからないから知りたいと思うことが、解決への唯一の道だと思う。
 当「鈴呂屋俳話」は過去の日本人のメタファーの解読を通じて、世界中の人々が固有のメタファーを持ち、それを理解することに喜びを感じるようにするための第一歩だとしたい。

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