「梅若菜」の巻の続き。
十六句目
懐に手をあたたむる秋の月
汐さだまらぬ外の海づら 乙州
(懐に手をあたたむる秋の月汐さだまらぬ外の海づら)
懐で手を温める人を漁師か何かと見たか。位付けと言っていいだろう。次が花の定座ということもあってか、ただ場所だけを示す。「外の海」は内海に対しての言葉で、太平洋、日本海、東シナ海などを指すとみていいのか。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「海士や船人の天気を窺ふ様子ともみゆ」とある。
『七部集大鏡』(月院社何丸著、文政六年刊)には「愚考、筑前玄界灘迄を内海と云、又瀬戸内といふ。是より九州地へかけて外海といふといへる説もあり。猶尋ぬべし。内海の汐の満干定りありと和漢三才図会に見ゆ。外海は汐の沙汰なし。」とある。
無季。「汐」「海づら」は水辺。
十七句目
汐さだまらぬ外の海づら
鑓の柄に立すがりたる花のくれ 去来
(鑓の柄に立すがりたる花のくれ汐さだまらぬ外の海づら)
さてもう一人の猿蓑の編者、去来の登場。そしていきなり花を持たされる。凡兆が月で去来が花と、これは芭蕉の粋な計らいと見ていいだろう。
これは秀吉の時代に朝鮮行きを命じられた武将の姿だろうか。なかなか汐が定まらず海を渡れないまま、今日も駄目かといかにも疲れたように鑓の柄で体を支えて佇んでいる。戦意が盛り上がらず、今日も長閑に桜の花に日は暮れてゆく。武将の苛立ちと平和が一番という庶民感覚とのギャップを感じさせる。
『猿簔箋註』(風律著か、明和・安永頃成)はこの句を「いせをはりの海づらを打詠たる鑓もち也。」と鑓持ちの句としている。「鑓持ち」は大名行列などで、槍をかざして盛り上げる役で、
鑓持のなほ振たつるしぐれ哉 正秀
の句は『猿蓑』の見どころの一つとなっている。この正秀もこのあと登場する。ただ、伊勢尾張だと七里の渡しで外海とはいえない。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)は「渡海を思ふ勇士のもやうなど見るべきか。」とあり、この方が良いと思う。
『七部十寸鏡猿蓑解』(天堂一叟著、安政四年以前刊)は「前の海辺を軍場と見て勇士の風情を付たり。魏の曹操梁を横たへ詩を賦などの俤なり。」とするが、深読みのしすぎだろう。曹操は中国人が驚くほど今の日本では人気だが、江戸時代からそうだったのか。日本では元禄二年に『通俗三国志』が出版されているが、去来がその影響を受けたかどうかはわからない。
季題は「花」で春。植物、木類。「萩の札」から三句隔てている。
十八句目
鑓の柄に立すがりたる花のくれ
灰まきちらすからしなの跡 凡兆
(鑓の柄に立すがりたる花のくれ灰まきちらすからしなの跡)
これは、『和漢朗詠集』にある菅原文時の漢詩、
桃李不言春幾暮 煙霞無跡昔誰栖
桃李もの言わず春いくばくか暮れぬる
煙霞跡無し昔誰ぞ栖
の心か。鑓の柄に立ちすがるのは老いた武将で、「煙霞跡無し」を俳諧らしく芥子菜の菜の花の跡形もなく刈られて、土を作るための灰が撒かれている情景にする。こういう換骨奪胎は凡兆の得意とするところだろう。
この詩句は平家物語の少将都帰の場面でも引用されている。謡曲「泰山府君」には、「煙霞跡を埋むでは花の暮を惜み。」とある。
古註はいろいろ意見が割れていて、これといった有力な説はない。
季題は「からし菜」で春。植物、草類。
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