今日はバレンタインデーで、バレンタインは近代俳句では春の季語になる。
もっとも最近では愛の告白の意味が薄れて、チョコレートの祭になりつつある。80年代くらいにはスーパーに行くと安価な冗談チョコが並んでたりしたが、近年では高級志向が強まり、ゴディバなどのブランドチョコももはや古くなって、有名ショコラティエやBean to Barの人気が高まってきている。
贈り物に限らず、自分チョコや女子会用やら、さらにはスイーツ男子の需要も増えてきている。
そのうち「チョコレート」自体が春の季語になるのでは。
さて、「梅若菜」の巻の続き。
二十八句目
ここもとはおもふ便も須磨の浦
むね打合せ着たるかたぎぬ 半残
(ここもとはおもふ便も須磨の浦むね打合せ着たるかたぎぬ)
肩衣(かたぎぬ)は袖のない肩から背中を覆う衣装で、戦国時代の武士は織田信長の肖像画のように、胸よりも下のところで合わせてきていたが、江戸時代の武士が礼服として着る肩衣は袴の所まで合わせないで着る。胸を打ち合わせて着る肩衣は庶民のものと思われる。
浄土真宗の門徒の着る略肩衣とする説もあるが、ここでは田舎の漁村の古風な風俗を付けたと見たほうがいい。
『猿簔箋註』(風律著か、明和・安永頃成)には「打かはりて門徒の講中。」とし、『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)でも「又須磨の浦のもの淋しさを付出したり。又一向宗の人のさまなど也。」と略肩衣のこととしている。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)では「ただ其人の形状をいへれど、憂愁をふくめる句作の妙をみるべし。」とあり、『猿蓑付合考』(柳津魚潜著、寛政五年一月以降成)では「おもふごとく便りもなきを案る、身すぼらしき姿なるらむ歟。」とある。『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)も「其人ニシテ住馴タレバ都ノ姿モナクナリタル姿ヲ言、」とある。
『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)の源氏の従者という説は三句にまたがって輪廻になる。
無季。「肩衣」は衣装。
二十九句目
むね打合せ着たるかたぎぬ
此夏もかなめをくくる破扇 園風
(此夏もかなめをくくる破扇むね打合せ着たるかたぎぬ)
さて、月の定座だが、月は出ない。
前句の胸打ち合わせの肩衣のみすぼらしさを受けて、壊れた扇子の柄の所を縛って補修して使っている様を付ける。
江戸時代の庶民は団扇を使うことが多く、壊れた扇子を使うのは困窮した牢人であろう。「此の夏も」というから、今年も仕官を果たせずという所か。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「此付の余情を弁せば、青雲の志をもとげず、空く月日の流るるを歎く意あり。」とある。『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)も「二君に仕ヱザル浪人トミナシ其用ヲ付タリ。」とある。
季題は「夏」で夏。「この夏も」は述懐。
三十句目
此夏もかなめをくくる破扇
醤油ねさせてしばし月見る 猿雖
(此夏もかなめをくくる破扇醤油ねさせてしばし月見る)
ここでやっと月が出る。
曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には夏之部六月に「醤油造」の項目があり、「[和漢三才図会]醤油、和名比之保。本邦の俗、油の字を加ふ。醤油は本草に載る豆油(たまり)なり。」とある。それゆえ、この句は月はあっても夏の句として扱われる。
醤油というと日本人の食卓に欠かせないものだが、今のような醤油が江戸の庶民の間に普及したのは文化・文政期だという。元禄の頃だと、関西を中心に溜まり醤油が用いられていた。
醤油は微生物の活動の活発になる前の冬から春に仕込むことが多く、夏に仕込むことはあまりない。何で夏のそれも晩夏の六月の季題になっているのかは謎だ。
一つの仮説だが、本来「醤油造」は魚醤の仕込みのことで、かつて瀬戸内海で広く造られていたイカナゴ醤油は夏の油の乗ったイカナゴを使っていたため、夏の季題になったのではないかと思う。特に、夏になると鮮度が保てないため食用に適さなくなり、その時期に魚醤が造られたのではないかと思う。
『猿簔箋註』(風律著か、明和・安永頃成)には「前句の五文字より付起したり。此度も醤油の世話するよ、と月に対して術懐せる心こもれり。」とある。
季題は「醤油ねさせて」で夏。「月」は夜分、天象。
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