今日は梅が丘の羽根木公園の梅を見た。世田谷梅祭りをやっていて人が多く賑やかだった。外人さんもたくさんいた。梅の遅速というが結構咲きそろっていた。
午前中は雲ひとつないいい天気だったが、午後からは寒波のせいで雪雲がここまで流れてきたのか、雪がちらつくことはなかったけど黒い雲が通り過ぎ、寒かった。
梅を詠んだ句はたくさんあるが、印象に残るというか一番インパクトのあるのは、
うめの花赤いは赤いはあかいはな 惟然
ではないか。いかにも春が来て浮かれている感じで、子供でもわかるようなこんな単純な句は、一見簡単そうで難しいし、惟然門の超軽みの句はいくつも作られたが、これを越える句はないだろう。
ただ、この句は『去来抄』に引用されているから、芭蕉の死後五年も経たぬ頃に詠まれていたのだろう。初出はやや末尾が異なる、朱拙編の元禄十二年一月刊の『けふの昔』の、
梅の花赤いは赤いは赤ひもの 惟然
だった。「あかいはな」の形は『去来抄』と惟然の死後に公刊された『惟然坊句集』による。
惟然の超軽みの句はこの直後の元禄十二年の播州への旅によって一気に開花した。
惟然撰『二葉集(じえふしふ)』は元禄十五年頃の編纂で、この直前に惟然は再び播州を訪れている。ただ、ここには「うめの花」の句はない。その『二葉集』の梅の句はこんな調子だ。
吹かぜも心ありけなむめのはな 智月
それはそれそこらの梅のほんのほんの 柳門
梅の花何とおもやるすつぺりと 釣壺
むめの花白を見(みる)さひあかひのも 簔里
同じ『二葉集』には播州の連衆との表六句、
からびたる寝ごとや梅にあたたまれ 元灌
霞はどこをどうまよふかの 惟然
雛祭る彼是などと有事で 千山
さしてもないにきゃっきゃきゃっきゃア 多幸
月影のたれやらほんに似たはいの 定當
それそれそれよ松たけかそれ 元用
がある。
そして同じ元禄十五年に千山撰の『花の雲』が刊行されている。それはこんな調子だった。
おもふまま思ひのままにんめの花 多幸
酔たやらんめのにほひも葱(ひともじ)も 至楽
梅は当時は「むめ」と表記されていたが、「んめ」というのは当時の播州の方言か。
梅の句ではないが、
うぐひすがそりゃ鶯が鶯が 至楽
に至っては、作者不詳だが芭蕉の句と言われてきた「松島やああ松島や松島や」を思い起こさせる。
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