今年もまずは古註を頼りに俳諧を読むことで、俳諧の展開や癖に慣れるようにしようと思う。
そういうわけで、今は竹内千代子さん編纂の『「炭俵」連句古註集』(1995、和泉書院)に頼り、
雪の松おれ口みれば尚寒し 杉風
を発句とする「雪の松」の巻を読んでみようと思う。
今日は寒くて午後からは雨で一日籠っていたからかなり進んだ。ただ、あまり長くなるので、今日の所は面六句までにしておこう。
まずは発句から。
雪の松おれ口みれば尚寒し 杉風
元禄六年(一六九四)十一月上旬、江戸での興行で、芭蕉は第三のみの参加となっている。芭蕉を含め十三人もの連衆を集めてのなかなか賑やかな興行だ。芭蕉もここでは控えめに、司会進行役に徹したのだろう。
岱水が脇を詠んでいる所から、場所は岱水亭である可能性がある。芭蕉庵の近くに住んでいたと言われているが、どういう人なのか詳細はわかっていない。
発句を詠んでいる杉風は日本橋小田原町で魚問屋を営み、その屋号から鯉屋杉風と呼ばれている。江戸に出てきたばかりの芭蕉も小田原町に住み、日本橋本船町の名主、小沢太郎兵衛得入(とくにゅう)の家の帳簿付けをやっていたという。
日本橋小田原町は現在の日本橋室町で、日本橋三越のある辺りになる。日本橋魚市場発祥の地の碑もあり、このあたりは魚市場として賑わっていた。
杉風は芭蕉が江戸に出てきた時からの古い門人であり、同時にスポンサー的な存在でもあった。小田原町の下宿も杉風が世話したとも言われているし、深川芭蕉庵も杉風の別邸の近くにあり、杉風が使用していた生け簀があの句に詠まれた「古池」だったともいう。
其角や嵐雪が次第に芭蕉と離れてゆく中、杉風は芭蕉の「軽み」の風を受け入れ、『炭俵』の主要なメンバーのひとりとなる。ここではスペシャルゲストとして招かれ、発句を詠むことになる。野坡、孤屋、岱水、利牛など『炭俵』でおなじみのメンバーだけでなく、『奥の細道』に同行した曾良や、伊賀出身で芭蕉の甥とも伝えられている桃隣なども参加している。
杉風の発句は当日雪が降っていてそのまんまの景色を詠んだか、雪の日にありがちな景色を思い浮かべたものか。雪も寒いが雪の重みで折れた松の切り口はわが身が切り裂かれたようでぞっとする。「まあ、とにかく今日は寒いっすねー」という季候の挨拶でもある。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「詩歌をからず名聞を飾らず、此句に此人の生質もゆかしき心地ぞせらるれ。但、寒の字にすさまじきその光景ミゆ。」とあり、『古集』系の『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)や『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)もほぼ同じ。
これといった出展もなく、あるあるネタで詠む所は芭蕉の「軽み」の基本的な詠み方。「名聞を飾らず」は其角と比べてということか。杉風は魚問屋で金持ちだから、別にたくさん弟子を取って稼がなくては、という事情がないというのもあったと思うが。
その意味では、芭蕉の「軽み」は遊俳にはいいが、師匠としての価値を常に高くアピールしなくてはならない業俳にとってはきつかったかも。
季題は「雪」で冬。降物。「寒し」も冬。蕉門では季重なりは何ら問題ではない。「松」は植物で木類。
脇
雪の松おれ口みれば尚寒し
日の出るまへの赤き冬空 孤屋
(雪の松おれ口みれば尚寒し日の出るまへの赤き冬空)
なお寒いといえばやはり明け方の寒さは身にしみる。別に日の出の頃に興行を始めたというのではなく、「寒いね」という挨拶には「寒いね」と答える暖かさが大事ということだろう。
「赤き冬空」というからには、雪が上がって晴れた朝なのだろう。挨拶なので寒さの中にもこれから暖かくなるといいねという気持ちが込められている。
『七部婆心録』(曲斎、万延元年)に「雪はれの朝やけを見て、アア冬の朝晴ハしけの印、けふも亦大雪かと寒恐のこはがる様也。」というのは、一巻の途中の句ならともかく、脇句の挨拶の役割から逸脱している。考えすぎではないか。
季題は「冬空」で冬。「日」は天象。空に既に赤みが差しているので「夜分」は免れると思われる。まだ昇ってはいないとはいえ、ここで天象が出たことで月の定座が苦しくなるが、さてどうなるか。
第三
日の出るまへの赤き冬空
下(ゲ)肴を一舟浜に打明て 芭蕉
(下肴を一舟浜に打明て日の出るまへの赤き冬空)
下魚は値段の安い大衆魚のことで鰯か何かだろう。明け方に帰ってきた船が取ってきた魚を全部浜に広げて天日干しするのはなんとも豪快だ。赤い朝焼けの空は嵐の前触れなんかではない。これから晴れる印だから魚を干す。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「海づらのけしきと見、日和のもやうと定て、魚干す体をいへりけるや。」とある。
今回の興行では芭蕉はこの一句だけ。さながら漁の収穫を十二人の門弟に見立て、後は任せたぞって所か。
無季。「下肴」「舟」「浜」など皆水辺。
四句目
下肴を一舟浜に打明て
あいだとぎるる大名の供 子珊
(下肴を一舟浜に打明てあいだとぎるる大名の供)
一舟分の大量の魚が干してあれば、通る人は何かと気になるもの。安く分けてもらえないかとばかりに立ち寄ってゆく。もちろん下賤な魚など大名の興味を引くものではないが、そのお供の下っ端の武士にしてみればついつい皆立ち止まって、列が途切れてしまう。
芭蕉を除いても十二人の連衆がいるし、順番にというわけでもなく、ここは出勝ちで付けてゆくところだ。それこそ笑点の大切りのような乗りで、すぐに出来て一番面白かった句がこれだったのだろう。順番で付けてゆく両吟・三吟・四吟などとは違った展開が楽しめそうだ。
無季。「大名の供」は人倫。
五句目
あいだとぎるる大名の供
身にあたる風もふハふハ薄月夜 桃隣
(身にあたる風もふハふハ薄月夜あいだとぎるる大名の供)
さてここは月の定座だが、大名行列が夜ということはないので、遅れて暗くなって宿に着いたことにする。
「遅くなった」というのをそのまんま言うのではなく、「身にあたる風もふハふハ」と急いで駆け込む様子を言うことで匂わす、いわゆる匂い付けになる。遅れてたお供の連中が、宿を見て慌てて駆け込む様が目に浮かぶ。
『古集系』には「羽織のすがたを形容せり。いそぐさまなるべし。」とある。走っているので羽織が風にひらひらする。
季題は「薄月夜」で秋。天象。夜分。雲でかすんだ月も、春は「朧月」で秋「薄月」になる。「身」は人倫。
六句目
身にあたる風もふハふハ薄月夜
粟をかられてひろき畠地 利牛
(身にあたる風もふハふハ薄月夜粟をかられてひろき畠地)
「身に当たる風」を風を切って走る姿ではなく、吹いてきた風が遮るものなく身に吹き付けてくることと取り成す。粟を刈り取った跡の広い畠では風を遮るものがない。わかりやすい句だ。
『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「カラリトシタル所ヲ可見。」とある。『七部婆心録』(曲斎、万延元年)の「病上りの身にあたる風をいたむ体」というのは考えすぎ。曲斎さんの註釈はこういうのが多い。何か人が思いつかないことを言ってやろうという所があるのだろう。
季題は「粟を刈る」で秋。植物。草類。
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