寒い日が続くけど、早咲きの梅はもう咲いている。まだ旧正月が来てないから、寒梅ということになる。
冬の梅というと、
寒梅
梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪
の句がかつては有名だった。百里編の『東遠農久(とおのく)』の句で、歌仙の発句で、脇は、
梅一輪一輪ほどの暖かさ
海鼠腸覗く後明りに 百里
だったという。(『蕉門名家句選(上)』堀切実編注、一九八九、岩波文庫)
海鼠腸(このわた)はナマコの腸で作った塩辛だとウィキペディアに書いてあった。海鼠(ナマコ)と同様、冬の季題になる。
嵐雪というと、
東山晩望
蒲団着て寝たる姿や東山 嵐雪
の句もかつては有名だった。小学校の頃父に連れられて京都へ行ったときに聞いた句で、特に俳句に興味のあるわけでもない親父が知っていたのだから、昔は誰もが知ってる句だったのだろう。
今のような四角い掛け蒲団が普及したのは江戸時代の後期で、嵐雪の時代の蒲団というのは綿を入れた夜着のことで「着る」ものだった。冬の季題になる。南北に細長い東山は蒲団着て横たわっている人の姿に見えたのだろう。芳山編『枕屏風』の句。
今は旧暦では年の暮。
五十ばかりの古猫の鼠もとらずなりて、
常にいろりに鼻さしくべて冬籠りたり、
なまじい南泉の刀をのがれたるを、身の
幸にして今年も暮ぬ
いづれもの猫なで声に年の暮 嵐雪
浪化・万子・支考編『そこの花』の句。
「南泉の刀」は禅の書『無門関』の「南泉斬猫」から来ている。こういう出典のある言葉をひけらかすのは其角・嵐雪の風で、芭蕉の晩年の軽みに反発し、疎遠になって行ったという。
自分自身を猫に例えている嵐雪は猫好きのように見えるが、実は嵐雪の妻が猫好きで、嵐雪がそれが面白くなくて猫をどこかに隠したら、妻が、
猫の妻いかなる君の奪ひ行く
と詠んで、隣の女が事情を告げ、夫婦仲が険悪になったという前歴がある。竹内玄玄一著の『俳家奇人談』に記されている。きっとそのあとで結局猫好きになったのだろう。
其角のミミズク、嵐雪のネコ、似たもの同士なのか。
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