さあ、「空豆の花」の巻も残す二裏の六句のみ。一気に行きます。
三十一句目
すたすたいふて荷なふ落鮎
このごろは宿の通りもうすらぎし 利牛
(このごろは宿の通りもうすらぎしすたすたいふて荷なふ落鮎)
前句の「すたすたいふて」を客がいないからだとする。
『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)には「落鮎の多くとれる時分、秋もすゑになり行、旅人の通りもうすらぎし也。」とある。『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「暮秋の光景。」とだけある。
無季。「宿」は居所。
三十二句目
このごろは宿の通りもうすらぎし
山の根際(ねぎは)の鉦(かね)かすか也 岱水
(このごろは宿の通りもうすらぎし山の根際の鉦かすか也)
さびれた宿場はシーンと静まりかえっていて、平地と山との境目あたりから、チーンと鉦を叩く音が聞きこえてくる。
名残の裏に入り、軽く流すような付け。ただ、宿場が寂れたから落ち鮎売りもすたすた通り過ぎるという付けに、同じように、宿場が寂れたから遠くの鉦の音が聞きこえると付けるあたりは、やや展開に乏しい。
『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「会釈の附にして、寂莫をたすく。」とある。鉦は『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)に「山根の常念仏の鉦」とある。
無季。「山の根際」は山類。「鉦」は釈教。
三十三句目
山の根際の鉦かすか也
よこ雲にそよそよ風の吹出(ふきいだ)す 孤屋
(よこ雲にそよそよ風の吹出す山の根際の鉦かすか也)
「横雲」というのは、
春はるの夜よるの夢の浮橋とだえして
峰にわかるるよこぐものそら
藤原定家
の歌も思い起こされるように、明け方の雲。夜明けの景色に転じる。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「夕時を朝時に転ず。」とある。『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「鉦かすかなりといふより明ぼのの空の星の光りおさまり、上もなく静なるに西風のわづかにふくさま也。洛外などの景様なるべし。」とある。
無季。「よこ雲」は聳物。
三十四句目
よこ雲にそよそよ風の吹出す
晒(さらし)の上にひばり囀(さへづ)る 利牛
(よこ雲にそよそよ風の吹出す晒の上にひばり囀る)
芭蕉の貞享五(一六八八)年夏に岐阜で書かかれた『十八楼の記』に、
「たなかの寺は杉の一村(ひとむら)にかくれ、岸にそふ民家は竹のかこみのみどりも深し。さらし布所々に引きはへて、右にわたし舟うかぶ。」
とある。河原ではしばしば布を引き伸ばして晒す風景が見られた。ここでは暁の空に薄くたなびく横雲とその引き干た晒し布とが重なり合うようだ。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「日和と見て附たらん。」とある。横雲にそよ風で今日はいい天気になりそうだ、というところで雲雀を登場させる。
季題は「ひばり」で春。鳥類。
三十五句目
晒の上にひばり囀る
花見にと女子(をなご)ばかりがつれ立ちて 芭蕉
(花見にと女子ばかりがつれ立ちて晒の上にひばり囀る)
女のおしゃべりは雲雀のさえずりにたとえられる。
『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「人倫の噂遠きよりいえりけん。女子斗といふにほのかに響きあるハ囀るの字ならん。姦の字を思ふべし。」とある。雲雀の囀りと女の姦しさが「響き」となって付いている。
季題は「花見」で春。植物、木類。「女子」は人倫。
挙句
花見にと女子ばかりがつれ立ちて
余のくさなしに菫たんぽぽ 岱水
(花見にと女子ばかりがつれ立ちて余のくさなしに菫たんぽぽ)
「余の」は他のということ。「くさ」は草と種(くさ)との両方に掛かる。女ばかりで他の者もいずに、菫やタンポポのようだ。
『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「女バカリと言ヨリ、余ノ草ナシトハ作レリ。但、木瓜・薊ノ類ヒニハ有デ、菫・蒲公英トハ議敷草ノ名ニテ、女ト言ニ栞タリ。」とある。
女ばかりと菫・蒲公英が響き付けとなる。
季題は「菫」と「たんぽぽ」で春。植物、草類。
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