昨日の二十三句目と二十四句目のところ、「夜分」が抜けていた。二十三句目は「ねる」が夜分。二十四句目は「燭台」は夜分。
また、「むめがかの」の巻の三十四句目、
千どり啼一夜一夜に寒うなり
未進の高のはてぬ算用 芭蕉
は「年貢納」で冬の句となる。
それでは「空豆の花」の巻の続き。
二十五句目
客を送りて提る燭台
今のまに雪の厚さを指してみる 孤屋
(今のまに雪の厚さを指してみる客を送りて提る燭台)
「今の間」はちょっとの間ということ。客を送り出だした後、またたく間に積もった雪を杖で指して計りながら、客を送るときに門に提げた燭大の蝋燭があたりを照らしている。
『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)には「客を送りて出れバ、思ひの外に雪積りし也。」とある。
季題は「雪」で冬。降物。
二十六句目
今のまに雪の厚さを指してみる
年貢すんだとほめられにけり 芭蕉
(今のまに雪の厚さを指してみる年貢すんだとほめられにけり)
またたく間に積もる雪を見て、粋な代官が杖で雪の深さを測りながら、「うむ。これで年貢もすんだな」とでも言ったのだろうか。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「雪に豊年の故語あるより趣向し給ひけん。もしくハ県令の巡見などミゆ。前句に実をとめたるの附にあらず。」とある。
「雪に豊年の故語」というのは、『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)に「雪ハ豊年の瑞といふ事ハ、韓退之の父に、春雲始繋時、雪遂降実豊年之喜瑞也。」とあるそのことを言うと思われる。出典はよくわからない。韓退之の父は韓仲卿で、韓愈(韓退之)三歳の時に死別したという。
季題は「年貢納」で冬。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の冬之部に「年貢納」があり、「青藍云、年貢納といへること、増山の井及び苧環にこれを載せず。しかりといへども、[炭俵集]にㄟ今の間に雪のふかさをさしてみる、といへる前句に、ㄟ年貢すんだとほめられにけり 芭蕉 又、ㄟ千鳥なくひとよひとよに寒うなり、と云る前句に、ㄟ未進の高のはてぬ算用 芭蕉、云々。いづれも冬季にいれたれば、冬季として子細あるまじ。」とある。
二十七句目
年貢すんだとほめられにけり
息災に祖父(ぢぢ)のしらがのめでたさよ 岱水
(息災に祖父のしらがのめでたさよ年貢すんだとほめられにけり)
今年も無病息災で祖父も元気で働くことができた。おかげで年貢も早く納めて褒められた。
『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)に「前句の人也。」とある。年貢すんだと褒められた人がどういう人なのかを付けた句。
無季。「祖父」は人倫。
二十八句目
息災に祖父のしらがのめでたさよ
堪忍ならぬ七夕の照り 利牛
(息災に祖父のしらがのめでたさよ堪忍ならぬ七夕の照り)
七夕の頃の日のジリジリと照りつける中を、若い者に負けじと農作業に精を出す老人。まさに無病息災目出度いかぎりである。
今いまは高齢化社会で老人は珍らしくないが、死亡率の高い江戸時代では人口もピラミッド型。老人になるまで生きられるのが稀な時代。それゆえ元気で闊達な老人は若者の憧れでもあり、無条件に尊敬された。
『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「健ナル爺ノ田野ニ出テ、残暑ニ愁ザル趣言外也。」とある。
さて、次は月の定座だが、七夕の昼からどうもって行くか。
季題は「七夕」は秋。
二十九句目
堪忍ならぬ七夕の照り
名月のまに合はせ度(たき)芋畑 芭蕉
(名月のまに合はせ度芋畑堪忍ならぬ七夕の照り)
夏の旱魃に里芋の生育を気遣う。名月には昔は里芋を具え、豊年を祈った。そのため「芋名月」という言葉もある。
月の定座だが、七夕の昼の句にそのままでは月は付けられない。こうした場合は時間の経過で乗り切るのが一応の定石といえよう。『去来抄』の
ぽんとぬけたる池の蓮の実
咲く花にかき出す橡(えん)のかたぶきて 芭蕉
の句や、
くろみて高き樫木の森
咲く花に小き門を出つ入つ 芭蕉
の句もそうした一つの例といえよう。
『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)には「名月の 月前七夕の照と出て、常の月ハ附られず。よって斯あしらひたる時候附也。」とある。
季題は「名月」で秋。夜分、天象。「芋」も秋で植物、草類。二十五句目に「今のまに」とあり、ここでも「名月のまに」とあるが、俳諧では同字三句去りなので問題はない。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にも「かかることを兎角いふべきにはあらず」とある。
三十句目
名月のまに合はせ度芋畑
すたすたいふて荷なふ落鮎 孤屋
(名月のまに合はせ度芋畑すたすたいふて荷なふ落鮎)
前句を「名月の芋畑で、まに合わせたき(とばかりに)」と読み、名月の芋畑を背景として「すたすたいふて」とつながる。「すたすたいふて」は「すたすたと」という意味。「落ち鮎」は秋の産卵後の鮎のことで、時期が限られるため、急いで売らなくてはならない。
『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「間に合せたきといふ詞を噺の上と取なし、鮎売どもの道すがらと思ひよせたり。」とある。
季題は「落鮎」で秋。水辺。なぜか連歌の式目には獣類や虫類、鳥類はあっても「魚類」はない。
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