2017年1月25日水曜日

 昨日の二十三句目と二十四句目のところ、「夜分」が抜けていた。二十三句目は「ねる」が夜分。二十四句目は「燭台」は夜分。
 また、「むめがかの」の巻の三十四句目、

   千どり啼一夜一夜に寒うなり
 未進の高のはてぬ算用     芭蕉

は「年貢納」で冬の句となる。
 それでは「空豆の花」の巻の続き。

二十五句目
   客を送りて提る燭台
 今のまに雪の厚さを指してみる    孤屋
 (今のまに雪の厚さを指してみる客を送りて提る燭台)

 「今の間」はちょっとの間ということ。客を送り出だした後、またたく間に積もった雪を杖で指して計りながら、客を送るときに門に提げた燭大の蝋燭があたりを照らしている。
 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)には「客を送りて出れバ、思ひの外に雪積りし也。」とある。

季題は「雪」で冬。降物。

二十六句目
   今のまに雪の厚さを指してみる
 年貢すんだとほめられにけり 芭蕉
 (今のまに雪の厚さを指してみる年貢すんだとほめられにけり)

 またたく間に積もる雪を見て、粋な代官が杖で雪の深さを測りながら、「うむ。これで年貢もすんだな」とでも言ったのだろうか。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「雪に豊年の故語あるより趣向し給ひけん。もしくハ県令の巡見などミゆ。前句に実をとめたるの附にあらず。」とある。
 「雪に豊年の故語」というのは、『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)に「雪ハ豊年の瑞といふ事ハ、韓退之の父に、春雲始繋時、雪遂降実豊年之喜瑞也。」とあるそのことを言うと思われる。出典はよくわからない。韓退之の父は韓仲卿で、韓愈(韓退之)三歳の時に死別したという。

季題は「年貢納」で冬。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の冬之部に「年貢納」があり、「青藍云、年貢納といへること、増山の井及び苧環にこれを載せず。しかりといへども、[炭俵集]にㄟ今の間に雪のふかさをさしてみる、といへる前句に、ㄟ年貢すんだとほめられにけり 芭蕉 又、ㄟ千鳥なくひとよひとよに寒うなり、と云る前句に、ㄟ未進の高のはてぬ算用 芭蕉、云々。いづれも冬季にいれたれば、冬季として子細あるまじ。」とある。

二十七句目
   年貢すんだとほめられにけり
 息災に祖父(ぢぢ)のしらがのめでたさよ  岱水
 (息災に祖父のしらがのめでたさよ年貢すんだとほめられにけり)

 今年も無病息災で祖父も元気で働くことができた。おかげで年貢も早く納めて褒められた。
 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)に「前句の人也。」とある。年貢すんだと褒められた人がどういう人なのかを付けた句。

無季。「祖父」は人倫。

二十八句目
   息災に祖父のしらがのめでたさよ
 堪忍ならぬ七夕の照り    利牛
 (息災に祖父のしらがのめでたさよ堪忍ならぬ七夕の照り)

 七夕の頃の日のジリジリと照りつける中を、若い者に負けじと農作業に精を出す老人。まさに無病息災目出度いかぎりである。
  今いまは高齢化社会で老人は珍らしくないが、死亡率の高い江戸時代では人口もピラミッド型。老人になるまで生きられるのが稀な時代。それゆえ元気で闊達な老人は若者の憧れでもあり、無条件に尊敬された。
 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「健ナル爺ノ田野ニ出テ、残暑ニ愁ザル趣言外也。」とある。
 さて、次は月の定座だが、七夕の昼からどうもって行くか。

季題は「七夕」は秋。

二十九句目
   堪忍ならぬ七夕の照り
 名月のまに合はせ度(たき)芋畑       芭蕉
 (名月のまに合はせ度芋畑堪忍ならぬ七夕の照り)

 夏の旱魃に里芋の生育を気遣う。名月には昔は里芋を具え、豊年を祈った。そのため「芋名月」という言葉もある。
 月の定座だが、七夕の昼の句にそのままでは月は付けられない。こうした場合は時間の経過で乗り切るのが一応の定石といえよう。『去来抄』の

   ぽんとぬけたる池の蓮の実
 咲く花にかき出す橡(えん)のかたぶきて   芭蕉

の句や、

    くろみて高き樫木の森
  咲く花に小き門を出つ入つ   芭蕉

の句もそうした一つの例といえよう。
 『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)には「名月の 月前七夕の照と出て、常の月ハ附られず。よって斯あしらひたる時候附也。」とある。   

季題は「名月」で秋。夜分、天象。「芋」も秋で植物、草類。二十五句目に「今のまに」とあり、ここでも「名月のまに」とあるが、俳諧では同字三句去りなので問題はない。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にも「かかることを兎角いふべきにはあらず」とある。

三十句目
   名月のまに合はせ度芋畑
 すたすたいふて荷なふ落鮎   孤屋
 (名月のまに合はせ度芋畑すたすたいふて荷なふ落鮎)

 前句を「名月の芋畑で、まに合わせたき(とばかりに)」と読み、名月の芋畑を背景として「すたすたいふて」とつながる。「すたすたいふて」は「すたすたと」という意味。「落ち鮎」は秋の産卵後の鮎のことで、時期が限られるため、急いで売らなくてはならない。
 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「間に合せたきといふ詞を噺の上と取なし、鮎売どもの道すがらと思ひよせたり。」とある。

季題は「落鮎」で秋。水辺。なぜか連歌の式目には獣類や虫類、鳥類はあっても「魚類」はない。

0 件のコメント:

コメントを投稿