「雪の松」の巻の二十八句目
又けさも仏の食で埒を明
損ばかりして賢こがほ也 杉風
のところで「相場師も賢く立ち回っているつもりでもちょっとした読み違いで地獄を見ることもある。」と書いていたら、ちょうどあの有名な投資家のジョージ・ソロス氏がトランプ氏の大統領当選後の株価を読み誤って、結果10億ドルもの損失を出したというニュースが飛び込んできた。
もっとも270億ドルの資産を運用するソロスさんのことだから10億ドルくらいたいしたことはないだろうけど。1080万円の資産を運用していて40万損しただけと思えば、それくらいのことはよくあることで、痛くも痒くもないと言ってもいいのではないか。
今日もほぼ満月。「冬の月」の句は二十九句目。
二十五句目
わざわざわせて薬代の礼
雪舟でなくバと自慢こきちらし 沾圃
(雪舟でなくバと自慢こきちらしわざわざわせて薬代の礼)
お歳暮を持っっていったところ、自分の持っている書画骨董をひとしきり自慢され、延々と薀蓄を聞かされるのは迷惑な話だ。「自慢こきちらし」と「わせて」の主語は異なる。このころの俳諧には主語が異なっていても明示しないことは良くある。
「こく」というのは「嘘こく」だとか「調子こく」だとか非難の意味が込められている。今でもこういう時は「ったく自慢こきやがって」というところだろう。
『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には、「前句態々わせて薬代に下されし物に、疑ハないト云詞ト見立」広言を付けたり。」とあるが、真蹟の雪舟だったら薬代にしては高価すぎるのではないかと思う。
無季。
二十六句目
雪舟でなくバと自慢こきちらし
となりへ行て火をとりて来る 子珊
(雪舟でなくバと自慢こきちらしとなりへ行て火をとりて来る)
前句が骨董好きの裕福な家のイメージだったのに対し、ここでは貧相な骨董商に転じる。キセルの火が消えたからといって隣に借りに行くというのは、少なくとも立派な屋敷ではなく町中の風景だ。
今でもたまに見るような、狭い店に所狭しと怪しげな物が並べられ、売れてる様子もなく埃をかぶって、骨董屋なのかゴミ屋なのかわからないような店を想像するといいのだろう。いかにも偏屈そうな親父がキセルをふかして、これなんか雪舟以外の何物でもないだろうとでかい口を叩いているけど、客のほうもどうせ嘘に決まっているとばかりに二束三文に値切っている、そんな世界だろう。
子珊はこれで四句目。花の定座も勤めたし、今日はなかなか冴えている。翌元禄七年の五月には、最後の旅に出る芭蕉のための餞別句会が子珊亭で催され、
紫陽草(あぢさゐ)や藪を小庭の別座敷 芭蕉
の句に対し、
紫陽草や藪を小庭の別座敷
よき雨間(あまあひ)に作る茶俵 子珊
の脇を付けている。このときのことを元に子珊は『別座敷』を編纂する。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「前底無用なるより、二句一章に作りて奪へり。隣ハ古道具の見世つづきとミるべし。」とある。
無季。
二十七句目
となりへ行て火をとりて来る
又けさも仏の食で埒を明 利牛
(又けさも仏の食で埒を明となりへ行て火をとりて来る)
前句の貧乏くさい様子から、托鉢して生活する修行僧のこととする。朝に托鉢してご飯を恵んでもらい、一日一食で過ごし、それ以外に炊事をしてはいけないのが本来なのだが、空腹に耐え切れなかったのか隣に火を貰いに行く。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「裏借家のひとり坊主などミゆ。体用の変なり。」とある。
無季。「仏の食」は釈教。「精進日」から四句隔てている。
二十八句目
又けさも仏の食で埒を明
損ばかりして賢こがほ也 杉風
(又けさも仏の食で埒を明損ばかりして賢こがほ也)
前句を修行僧ではなく、乞食に身を落とした相場師とする。
江戸時代だから株や債権はないが、金・銀・銭は独立して変動相場で動いているから、そこでFXのように利ざやを得ることはできただろう。幕末には海外の金銀の交換レートが違うことから外国人に金を銀に交換してもらって儲けた人がいたともいう。
また、江戸時代には先物取引が行われていたので、コモディティへの投資でも儲けることはできた。
ただ、策士策に溺れるというか、賢く立ち回っているつもりでもちょっとした読み違いで地獄を見ることもある。
次は月の定座だが、月呼び出しというには程遠いが、「賢こ顔」が何となく月を連想させるか。あれは「かこち顔」だったか。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「相場師のしもつれともいハん。」とある。「しもつれ(仕縺れ)」は辞書だと「めちゃくちゃになる、どうにもならなくなる」とあり近松門左衛門の天神記の「これほど身代しもつれて、田地に離れ」を用例として挙げている。「すってんてんになる」というのが一番しっくり来る感じがするが。
無季。
二十九句目
損ばかりして賢こがほ也
大坂の人にすれたる冬の月 利合
(大坂の人にすれたる冬の月損ばかりして賢こがほ也)
前句を大阪商人のこととする。天下の台所と言われた大阪は全国から様々な物資が入ってきて豊かに見えるが、その分競争も激しくなかなか商売の道は厳しい。
冬の澄み切った空の寒々とした月もそんな大阪商人からすれば「すれた」冷たさに見えるのだろうか。凍りつくような空気の中で月もまた一人「賢こがほ」している。
『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「物ニスルドキ人ヲ冬ノ月ニ寄テ、前句ヲツナギタルナリ。」とある。
季題は「冬の月」で冬。夜分。天象。「大坂」は名所。「人」は人倫。
三十句目
大坂の人にすれたる冬の月
酒をとまれば祖母の気に入 野坡
(大坂の人にすれたる冬の月酒をとまれば祖母の気に入)
前句の「大坂の人」を女のことに取り成したか。それに対して男はすっかり都会ですれてしまった冬の月のような冷たい顔をしている。クールでニヒルなのはいいが、相手の親の受けはすこぶる悪い。そこで酒をやめて一心に働けばその女の祖母にも気に入ってもらえるだろうかというところだ。だがあくまで「とまれば」という仮定の話。なかなか酒はやめられないもの。
『古集』系は「欠落ものの聟に入たるなどいふ思惑に附けなせり」とする。
無季。「祖母」は人倫。
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