2017年1月22日日曜日

 鈴呂屋書庫の日記にも書いたが、アメリカの大統領は中学生でもわかるような英語で語るのに、日本の政治家はいつも何を言っているかわからない。難しい言葉を使えば偉いと思っているようなところがある。それは今日の俳人にも言えるのではないかと思う。
 芭蕉の軽みは古典の風雅の世界を誰もがわかる俗語で表現するということにあった。

 声枯れて猿の歯白し峯の月   其角
 塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店   芭蕉

 漢籍に出てくる猿の叫びは魚屋の塩鯛でも表現できる。それが軽みだった。
 さて、それでは「空豆の花」の巻の続き。

十三句目
   家のながれたあとを見に行
 鯲(どぢゃう)汁わかい者よりよくなりて 芭蕉
 (鯲汁わかい者よりよくなりて家のながれたあとを見に行)

 「よくなりて」はよく食いてという意味。洪水の後には水の引いた地面にドジョウが落ちていたりしたのか。酸いも甘いも噛み分けてきた老人だけに、そこは落ち着いたもので、これこそ塞翁が馬、災転じて福と成すとばかりに、家の流れたあとを見に行っては、拾ってきたドジョウを食いまくる。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「後附の二句一章といハん。」とある。後ろ付けは七七の下句に五七五の上句を付けたときに、後から付けた五七五に七七が続き、五七五七七の和歌のように読み下せる付け方を言う。
 本来連歌ではこのように付けていたのだが、「て」止めに限っては七七に五七五を続けるような前付けでもいいとされてきた。それがちょうどこの元禄の頃から崩れ始めて、七七に五七五を付ける時には前付けが普通になり、この芭蕉の句のような古風な付け方を「後ろ付け」と呼ぶようになっていった。
 二句一章も、本来連歌は上句と下句を合わせて一種の和歌を完成させるゲームだったのだが、それが次第に忘れ去られ、こういう昔風の一首の和歌としてすんなり読み下せる付け方を二句一章と呼ぶようになった。

無季。「わかい者」は人倫。

十四句目
   鯲汁わかい者よりよくなりて
 茶の買置をさげて売出す     孤屋
 (鯲汁わかい者よりよくなりて茶の買置をさげて売出す)

 ドジョウ汁には酒が付き物というわけで、酒の飲みたい老人は茶の買い置きを安く売って、金を工面する。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「商のうへ飲む以為に転ぜり。与奪なり。」とあり、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「酒好親父トミテ、此頃ハ酒デモヒツパクニ附テト言意ヲ、此方ヨリ前句へ与エテ奪ヒ終レリ。」とある。

無季。

十五句目
   茶の買置をさげて売出す
 この春はどうやら花の静なる   利牛
 (この春はどうやら花の静なる茶の買置をさげて売出す)

 花の定座を二句繰り上げている。茶会から花見の連想が働くため、それを逃す必要はない。
 当時はまだ今のような煎茶がなく抹茶が主流で、花見の季節にはお茶会も盛んに開かれ需要が増える。それが景気が悪かったりして花見が盛りあがらないとなれば、花見特需による値上がり見込んで買占めた茶も安く放出せざるをえなくなる。
 『梅林茶談』(櫻井梅室、天保十二年刊)には「前句のさげて売出すをこころにとめて、此春は何となく不景気にて、商もはかばかしからず。花見に行人も例年よりハすくなしと思ひとりて、花も静なりと軽く作せり。」とある。
 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)に「北枝考、前句茶の買置を下てうるハ、世上不景気ト見立其時節を付たりト云り。」とあるから、芭蕉の『奥の細道』の旅でも交流のあった北枝の説が元になっているようだ。
 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)に「新茶ノ頃ニナレバ、買オキノ茶ヲヤスクウル。」とあるが、抹茶は半年壺に入れて寝かせるため新茶の季節は十一月になる。

季題は「春」と「花」で春。「花」は植物、木類。

十六句目
   この春はどうやら花の静なる
 かれし柳を今におしみて     岱水
 (この春はどうやら花の静なるかれし柳を今におしみて)

 素性法師の歌に、

 見渡せば柳桜をこきまぜて
    都ぞ春のにしきなりける
             素性法師

とあるように、桜と柳はともに春を彩るもので付き物。桜の木のそばにあった柳が枯れてしまえば、桜もどこか寂しげで、枯た柳を惜しんでいるように見える。
 『梅林茶談』(櫻井梅室、天保十二年刊)には「古年の春までは、柳のみどりもたち添ひて、花も一しほうるはしかりしに、其柳かれて花も淋しくおもはるると一転して付られたり。」とある。

季題は「柳」は春。植物、木類。「枯し柳」はここでは冬で葉の落ちた柳の意味ではないので、冬の季語ではない。

十七句目
   かれし柳を今におしみて
 雪の跡吹はがしたる朧月     孤屋
 (雪の跡吹はがしたる朧月かれし柳を今におしみて)

 柳に積もっていた雪も春の風に吹きはがされて、朧月が出ている。しかし、柳は枯たままで緑はなく、まったくもって惜しい。
 花の定座が繰り上がり月がまだだったのでここで出す。春だから「朧月」になる。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「折にふれて思ひ出たる風情ならん。」とある。

季題は「朧月」で春。夜分、天象。「雪」はここでは跡なので冬ではない。

十八句目
   雪の跡吹はがしたる朧月
 ふとん丸げてものおもひ居る   芭蕉
 (雪の跡吹はがしたる朧月ふとん丸げてものおもひ居る)

 春は恋の季節で、朧月の夜は寝付けけずに、布団を丸めて物思いにふける。
 この頃の蒲団は冬の夜着で、今のような四角い布団ではない。そのため蒲団は畳むのではなく丸める。春とは言っても雪の跡がまだ残るため、それまでは蒲団を着ていたのだろう。雪がはがれて蒲団もはがれるというあたりが細かい。月の朧も涙によるものでもあるかようだ。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「朦朧たる春宵に閨愁のさまをよせ給ひけん。はがしたるの語もまた用あるに似たり。」とある。

季題は「ふとん」で冬。衣装。「ものおもひ」は恋。

0 件のコメント:

コメントを投稿