2017年1月27日金曜日

 明日は旧正月。ということは今日は旧暦の大晦日(おほつごもり)になる。
 日本では明治の始めに旧暦での行事が禁止され、旧正月は廃れていったが、中国では今日から二月二日までは春節休暇となり、中華街では爆竹を鳴らし獅子や龍が舞い、盛大にお祝いする。
 ただ、それは中華街だからで、一般の日本人が暮らす住宅地に住む中国人は、なかなかそんなに騒ぐわけにもいかないだろう。中華街でも崩御や震災なんかがあると自粛を求められたりもする。
 いろいろな国の人が共存するとなると、お互いを気遣えばどうしても祭や行事は抑制されがちになり、特にマイノリティーとなれば肩身が狭い思いをすることになる。
 ヨーロッパではクリスマスは盛大に祝われ、街にはクリスマス市ができて賑わうが、だからといってヨーロッパに住むムスリムの人たちがラマダン明け (ライラ・アル・カドル)に同じように盛大にお祭をするわけではあるまい。それどころか、フランスではベールの着用が宗教的行為にあたるとして公共の場所で禁止されてたり、相当に肩身の狭い思いをしているのだろう。
 去年のクリスマスにはベルリンのクリスマス市でテロ事件があったが、厳重警戒の中でクリスマス市を続行した。日本だったらすぐに中止になっていたかもしれないが、ヨーロッパのキリスト教徒にしてみれば、クリスマスの行事は命をかけてでも守らなければならないものなのだろう。
 日本人からすれば、クリスマスもハローウィンも盛大にやるけど、誰もそれを命をかけてまで守るべきものだなんて思わない。春のお花見は戦中の自粛ムードの中でも行われてたというし、震災の後もいろいろ議論はあったもののお花見は行われていた。文化というのはそういうものだ。
 あの戦争に負けるまでは、日本人も命をかけてでも守るべきものがたくさんあったのだろう。それが戦後には急速に失われ、日本の伝統文化はもとより日本そのものも守ろうという意識が薄れ、日本そのものが早く消えてなくなればいいと思うものすら大勢いる。
 今の日本の祭や行事は先祖代々受け継がれてきたものでもなければ共同体のものでもない。ただ盛り上がればいいというだけの擬似祭というかお祭ごっこのようなもので、誰もその存続に命を張ることもないだろう。
 ただ、宗教性もなければ共同体の精神もない祭というのは、逆にいえば来る者を拒まない開放性を持っている。だからそれは決して悪いことではない。いつかそんな感じで世界中の人が参加できる地球祭ができればいいなとも思う。

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