今日は東に満月。西の空にはVenus and Mars are alright tonightってウィングスの中学の頃に聞いた曲を思い出す。
「雪の松」の巻にも「大坂の人にすれたる冬の月」の句があるが、今日はまだそこまで行かない。
とりあえず二表に入る。
十九句目
川からすぐに小鮎いらする
朝曇はれて気味よき雉子の声 杉風
(朝曇はれて気味よき雉子の声川からすぐに小鮎いらする)
前句を朝の景色として雉の声を添える。小鮎は簗漁で朝回収してきたのだろうか。この一巻全体に景物の句が少ないので、もっぱら杉風は景物担当なのか。
『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「弁を加ふるに及ず。」とある。
季題は「雉子」で春。鳥類。
二十句目
朝曇はれて気味よき雉子の声
背戸へ廻れば山へ行みち 岱水
(朝曇はれて気味よき雉子の声背戸へ廻れば山へ行みち)
「背戸」は裏口。これもほとんど説明の必要はない。水辺から山類への転換というべきか。そろそろ大きな展開が欲しい。
無季。「背戸」は居所。「山」は山類。
二十一句目
背戸へ廻れば山へ行みち
物思ひただ鬱々と親がかり 孤屋
(物思ひただ鬱々と親がかり背戸へ廻れば山へ行みち)
待ってましたというかやっと出てきたというか、ようやく恋になる。
前句の裏口から山への道を恋の通い路とし、そこから出て会いに行きたいのだけど、踏ん切りがつかずにただ悶々としている。それはまだ「親がかり」つまり親に養ってもらってる身で、自信がないのだろう。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「ままならぬ恋路に心すすまぬ風情ならん。何となく立出たる体に附なせり。」とある。
無季。「物思ひ」は恋。
二十二句目
物思ひただ鬱々と親がかり
取集めてハおほき精進日 曾良
(物思ひただ鬱々と親がかり取集めてハおほき精進日)
「精進日(しょうじび)」は忌日などで肉や魚を絶って精進すべき日。前句の恋の物思いと合わせると、夫との死別かと想像が働く。死別して実家に戻って親がかりなら辻褄は合う。
精進日が多いのは鬱による拒食症によるものか。昔は鬱状態になり物事すべたが空しく思えるようになると「発心」とみなされ、人との接触を拒んで引き籠ると世俗の交わりを断ったと言われ、拒食症になると穀断ちとみなされた。その行き着くところは自殺だが、それを即身仏や補陀落渡海という形で神聖な儀式として行われることもあった。食物が喉を通らないだけでも、世間からは精進とみなされた。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「食事のすすまぬ趣ならん。夫妻などにおくれたる底の余意あるか。」とある。
『七部婆心録』(曲斎、万延元年)は「前句後家に成て親元へかかり、兄弟の気がねに物思ふ体ト見立」其場の咄を付たり。」と、死別の悲しみではなく兄弟への気遣いのためとし、精進日を親族に押し付けられたものと解釈する。
『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には、「取集め 前句ヲ夫ニ死レテ親里ニカヘリ、夫ノ家ノ忌日トヲ併テハ、忌日多クナリタルヨシナリ。」とあるが、「取集めてハ」は「とにかくいろいろ」という程度の意味で、親族のいろいろの事情によりそれぞれの精進日が多くてというのは考えすぎだろう。
喪失の悲しみを「精進日が多い」という形で笑いに転化して表すのが俳諧で、喪失の悲しみよりも親族の圧力がというのは、実際にありそうなことだけど下世話な感じがする。
無季。「精進日」は釈教。
ニ十三句目
取集めてハおほき精進日
餅米を搗て俵へはかりこみ 桃隣
(餅米を搗て俵へはかりこみ取集めてハおほき精進日)
前句の「取集めて」が何を取り集めているかはっきりしなかったのを、「餅米を搗て俵へはかりこみ取り集めてハおほき」とする。
餅米を搗くというのは精米することをいう。昔は米を杵で搗いて精米した。餅搗きではない。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「斎非時のもふけなるべし。」となる。斎非時(ときひじ)は禅家で僧と共にする食事のことで『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)は「年回の」という補則が付く。年回は年忌に同じ。
無季。
二十四句目
餅米を搗て俵へはかりこみ
わざわざわせて薬代の礼 依々
(餅米を搗て俵へはかりこみわざわざわせて薬代の礼)
前句の精米した餅米を薬代(やくだい)の礼に取り成す。
「わせて」は「御座(おわ)して」と同じ。韓国語ではない。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「暮年の光景と見て趣向したらん。」とある。いわゆるお歳暮か。ただ、季語は入っていない。
無季。
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