2017年1月20日金曜日

 今日は雪の予報もあったが、ほとんど降ることもなかった。
 それでは「空豆の花」の巻の続き。初裏に入る。

七句目
   どたりと塀のころぶあきかぜ
 きりぎりす薪の下より鳴出して  利牛
 (きりぎりす薪の下より鳴出してどたりと塀のころぶあきかぜ)

 前句を古くなって横倒になった塀とし、人住ぬ荒れ果てた家に放置された薪の下ではキリギリス(今でいうコオロギ)が鳴き出して、しみじみ秋を感じさせる。

季題は「きりぎりす」で秋。虫類。鳴く虫は通常夜分で、打越に月があるため輪廻になるが、難かしい展開のところなので流したのだろう。コオロギは別に昼に鳴いていてもいい。『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「虫ハ夜分にして差合を繰べからずとハ、鳴くことの夜分に限らざれバならし。爰に後句の働を賛せざらんや。」とある。

八句目
   きりぎりす薪の下より鳴出して
 晩の仕事の工夫するなり     岱水
 (きりぎりす薪の下より鳴出して晩の仕事の工夫するなり)

 夕暮れてコオロギの鳴きだす頃、薪を割ったりくべたりしながら、夜の仕事のことを考えている。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「仕事ハ薪に用あり。」とある。薪に仕事が付くといっても良いだろう。薪という体に仕事という用を付ける物付けになる。

無季。「晩」は夜分。

九句目
   晩の仕事の工夫するなり
 妹をよい処からもらはるる    孤屋
 (妹をよい処からもらはるる晩の仕事の工夫するなり)

 妹が良家に嫁に行くことが決まったが、それには相応の婚資もいれば衣装もいる。嬉しいけど頭の痛いことでもある。

無季。「妹を‥‥もらはるる」は恋。「妹」は人倫。

十句目
   妹をよい処からもらはるる
 僧都のもとへまづ文をやる    芭蕉
 (妹をよい処からもらはるる僧都のもとへまづ文をやる)

 これは恵心僧都(えしんそうず)の面影。恵心僧都は天台宗の僧、源信(九四二~一○一七)のことで、横川の僧都とも呼ばれ、『源氏物語』「手習い」に登場する横川の僧都のモデルと言いわれている。光源氏の子薫(かおる)と孫の匂宮(においのみや)との三角関係から身投みなげした浮船(うきふね)の介護をし、かくまっていた横川の僧都こそ、恋の相談にふさわしい相手。妹の良縁も真っ先に知らせなくては、ということになる。
  晩年の芭蕉は「軽み」の体を確立して、出典にこだわらない軽い付けを好んだが、源氏物語ネタは昔からの連歌・俳諧の花であり、嫌うことはなかった。このことは『去来抄』にも、『猿蓑』の撰の時、物語の句が少ないと言って

 粽(ちまき)結ふかた手にはさむ額髪(ひたひがみ) 芭蕉

の発句を新たに書き加えたエピソードからもうかがわれる。
 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「ココニ僧都ト出セルは、活法ト可言。但、余情ハ恵心僧都ノ妹ノ面影ナルベシ。」とある。
 出展を知らないと意味が通りにくいような付けは「本説」で、「面影(俤)」という場合は、出典を知らなくても一応の意味が通るが、知っているとより味わい深いものになるような、出典に必ずしも依存しない付け方を言う。

無季。「僧都」は人倫(僧都は案山子を意味する場合があり、その場合は非人倫となる)。釈教。「文をやる」は恋。

十一句目
   僧都のもとへまづ文をやる
 風細う夜明がらすの啼きわたり   岱水
 (風細う夜明がらすの啼きわたり僧都のもとへまづ文をやる)

 出典のある句が困るのは、「僧都」を出した時点でイメージが『源氏物語』の横川の僧都に限定され、展開が重くなることだ。そのため、「軽み」の風では好まれなくなった。
 出典には別の出典でというのが一応の定石。ここは中世歌壇を代表する頓阿法師(とんなほうし)が小倉で秘会を催すことを兼好法師に知らせるために、深夜に使いを出して、明け方に横川の兼好法師のもとに到着したという古事による。
 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には「前句夫々ヘモヤレド、遠キ兼好僧都の許へ先文をやる体ト見立、夜深の様を付たり。風細う夜明烏の鳴渡トハ、兼好のござる横川へハ、小倉の頓阿の許より余程あれバと、夜深に支度させれど、此使臆病にて猶予のうち、漸明けれバいざと出ゆく様也。」とある。
 もちろん、出典と関係なく、単に景色を付けて流した「遣り句」と見てもいい。そこはあくまで面影。

無季。「夜明」は夜分。「からす」は鳥類。

十二句目
   風細う夜明がらすの啼きわたり
 家のながれたあとを見に行    利牛
 (風細う夜明がらすの啼きわたり家のながれたあとを見に行)

 風も細くなって嵐も去り、夜も明け、ようやく家の流された跡を見に行く。洪水の中を必死に逃げた昨日のことが思い出される。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「雨も漸く晴たるふぜいと見たらん。明侍かねてどやどや出るあんばい自然いふべからず。」とある。
 「雪の松」の巻に、

   粟をかられてひろき畠地
 熊谷の堤きれたる秋の水     岱水

の句がある。元禄元年(一六八八)に荒川大洪水があったから、このころはまだそのときの記憶が鮮明だったのだろう。

無季。「家」は居所。「ながれた」は水辺。

0 件のコメント:

コメントを投稿