2017年1月11日水曜日

 ようやく冬らしく寒くなってきた。今年は水仙が咲くのが早いから早く暖かくなるのかな。月はもうすぐ満月、ということは旧暦で師走の十日過ぎということか。
 では「雪の松」の巻の続き。

十五句目
   めつたに風のはやる盆過
 宵々の月をかこちて旅大工    依々
 (宵々の月をかこちて旅大工めつたに風のはやる盆過)

 お盆というと今でも帰省ラッシュだが、江戸時代でも薮入りとお盆は奉公人が故郷に帰る日だった。ところが江戸時代にもブラックな職場はあって、なかなか帰省が許されなかったりする。旅の大工もそうだったのだろう。盆の過ぎる頃にはやけに風邪だといって休む大工が多い。何で風邪を引いたのかと聞いたら、ついつい月が綺麗で夜更かしして、と。そんなところだろうか。
 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「盆過ノ淋敷ナル折ト言、流行病ノ節ニ、故郷ノ忍バシキ趣ヲ附タリ。」とある。

季題は「月」で秋。夜分。天象。「旅大工」は人倫。

十六句目
   宵々の月をかこちて旅大工
 背中へのぼる児をかハゆがる 桃隣
 (宵々の月をかこちて旅大工背中へのぼる児をかハゆがる)

 昔は街頭も町の灯りもなくて、夜は暗い闇に閉ざされていた。それだけに月の出る日は貴重で、宴会をやったり遊び歩いたり祭りだったりと月の明るさを利用した。大人だけでなく子供も浮かれて月の出る日には大はしゃぎだったのだろう。
 旅の大工も地元の人たちと一緒になって月夜を過ごせば、その土地の子供になつかれたりもする。となると大工さんの方も国に残してきた自分の子供を思い出してはついつい可愛がる。
 「かハゆ」は可哀相という意味と可愛いという両義があり、芭蕉の時代にも、

 盲より唖のかハゆき月見哉かな   去来

の用例がある。可哀相というのが守ってあげたいという意味に転化して、小さい弱いものへの愛情を表す言葉になったのだろう。いまや「かわいい」は世界の言葉になりつつある。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「郷にも稚子のあるなるべし」とのみあるが、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には「前句宵々の月を侘て、故郷シノブ旅大工ト見立恩愛の情を述べた。」とあり、『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)にも「背中へのぼりて狂ひ遊ぶを愛すると也。」、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にも「吾児と同じ年頃なる他人の児の無邪気に戯るるを愛する也。」とある。
 幕末・明治の註釈だと、「かハゆ」はみな可愛いの意味に解しているが、ひょっとしたら元禄の頃には「背中に登ってくる子供が可哀相」と読んで、親のない子供か何かを想像して涙したのかもしれない。次は花の定座。

無季。「児」は人倫。人倫が二句続く。

十七句目
   背中へのぼる児をかハゆがる
 茶むしろのきハづく上に花ちりて 子珊
 (茶むしろのきハづく上に花ちりて背中へのぼる児をかハゆがる)

 「きハづく」は汚れが目立つという意味。
 今の煎茶は元文三年(1738)に永谷宗円が摘んだ葉を蒸して揉みながら乾燥させる方法を発明し、急須にお湯を入れて飲むようになったという。それ以前のお茶についてはっきりしたことはわかないが、抹茶が主流だったという。
 抹茶の場合収穫前に茶園を筵で覆い、光を当てないようにするから、ここでいう茶むしろもその覆いのことだと思われる。時期的にも茶の収穫の一ヶ月くらい前なら、桜の季節と重なる。
 桜の季節になると茶畑は完全に筵で覆われて、その上に花びらが散ってたりしたのだろう。外の土埃や枯葉や鳥の糞なんかで汚れた筵も花びらが積もればそれなりに美しくなる。茶農家の人も子供を背中に乗せながら、「おう、よしよし、今年も立派な抹茶が出来るずら」なんていう、そんな情景が浮かんでくる。
 古註はみな芭蕉の時代に煎茶がなかったということを知らずに書いている。『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)は「茶を揉む女子どもに転ず。」と言うが、当時茶は揉まなかったし、茶揉みは収穫の後なので季節も合わない。『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)も「茶ムシロハ、其筵ノ上ニテ製スル也。」とあるがこれも同じ誤解。
 『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は多分季節が合わないことで、これらの幕末の註のおかしさに気づいていたのだろう。「きはつくは際やかに目立つなり。茶むしろ猶新しきなるべし。前句をまことの母と児とにして、田家の庭前の春の景色を如実に描きたり。」とある。まだ茶揉みの作業に入る前だから、清潔で新しい筵のことと考え、「きハづく」の意味を強引に変えてしまっている。

季題は「花」で春。植物。木類。

十八句目
   茶むしろのきハづく上に花ちりて
 川からすぐに小鮎いらする  石菊

 「いらする」は「炒る」に使役の「らす」の付いたものだろう。鮎というと今日では櫛に刺して塩焼きにするが、昔は鍋に油を敷かずに、そのまま焦げ付かないように鍋を降りながら火を通したのだろう。芭蕉の好物に「炒り牡蠣」というのがあったが、殻のついた牡蠣をガラガラと炒るから、その音が外にまで聞こえたという。
 田舎の茶畑なら鮎の取れる川もすぐ近くにある。取れたてをすぐに食うならどんな料理法でも美味いに違いない。
 花に鮎の子と季節の物を付けた句で、親子の人情でほろっとさせたあと、花でさらに盛り上がった後だから、このような軽い遣り句でも十分すぎるだろう。
 古註は「いらする」の解釈でかなりもめている。『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)は「煮る」の意味だとし、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)は「い」と「わ」の書き間違いで「割らする」だとする。『標註七部集』(惺庵西馬・潜窓幹雄編、元治元年春序)『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は「入らする」だという。

季題は「小鮎」で春。水辺。「川」も水辺。

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