2025年1月21日火曜日

 
 今日は厚木の飯山ローバイの丘に行って来た。蝋梅は普通は「ロウバイ」の表記だが、看板にはローバイとある。ロウバイと書いてあるところもあって表記が一定してない。
 規模は寄に及ばないし、山深い隠れ里の景色もないが、東京から近く飯山温泉郷があり飯上山 如意輪院長谷寺の飯山観音がすぐそばにある。
 写真は飯山観音からの眺め。

 それでは『雑談集』の続き。
 昨日の、

 白雨の日にすかさるるくもり哉  揚水

の句は同じ『雑談集』にこのあと、

 ゆふたちの日に透さるる曇かな  揚水

の形で出てきた。

 「此比の当座に、

 小男鹿やほそき聲より此流れ

と申しける折ふし百里が旅より帰りしに、木曽路の秋を語りけるにも畳のうへにては面白からぬけしきを云ひ出てけり。梯の水音今も耳に残りて覚えぬるといはれて、世につながるる事を歎きぬ。すべて景に合せては情をこらして扨景を尋ぬるが此道の手なるべし。富士を見ては発句ちひさくなりぬるは心の及ばざるゆゑ也。」

 百里は嵐雪の弟子で『其袋に、

 菅笠や男若弱(にやけ)たる花の山 百里
 老猫の尾もなし恋の立すがた   仝

などの句がある。
 「小男鹿」の句は百里の木曽路の旅の経験から生まれた句だったのだろう。木曽の梯(かけはし)は芭蕉も、

 桟やいのちをからむつたかづら  芭蕉

と詠んだ中山道の難所で、川に沿った切り立った崖の中ほどにある道で、丸太の上に板を渡した簡単な橋が掛けられていた。そこを通過した時は山からは鹿の声がして、下からは水の音がして、百里としては忘れることの出来ない思い出だったのだろう。ただ、江戸に来て畳の上で興行しても、その臨場感はなかなか伝わってこない。
 こういう時のポイントとしては、景色を思い浮かべたら、その時の情に合わせてそれにあったものを選びだすということだと其角は教える。切り立つ崖と深い谷底の絶景を思い浮かべたなら、その時の心細かったことを思い出して、それにあった景色、たとえば「命をからむ蔦かづら」のようなものを選び出す。芭蕉はそうした、という所だ。

 桟やあぶなげもなし蝉の声    許六

ほこの後の句になるが、羽根を持つ蝉の何食わぬ様子で鳴いているのが逆説的に道の危なさを表している。
 それに比べると百里の句は、確かに鹿の声や川の音は心細い感じはするが、「命をからむ」のような力強い情の発露は感じられない。その場にあったものを並べただけという感じがしなくもない。
 「富士を見ては発句ちひさくなりぬる」というのは、富士の大きさに圧倒されて、その感動を表すにはそれなりの強い言葉が必要になるということであろう。感動が強ければ強いほど、言葉がそれに追いつず、本来の感動が月並みな言葉で矮小化されてしまう。土芳の『三冊子』「くろさうし」にも、

 「師のいはく、絶景にむかふ時は、うばはれて不叶、物を見て取所を心に留メて不消、書寫して静に句すべし。うばはれぬ心得もある事也。そのおもふ所しきりにして、猶かなはざる時は書うつす也。あぐむべからずと也。師、松島にて句なし。大切の事也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.142~143)

とある。
 「取所を心に留メて不消、書寫して静に句すべし」という意味では、芭蕉は蔦かづらを心に留め、許六は蝉を心に留めてそれを素直に句にしたという所なのだろう。「小男鹿やほそき聲より此流れ」もそうした景色をそのまま句にしたようだが、この違いはおそらく、景に情がきちんと乗ってないからなのだろう。

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