2025年1月25日土曜日

  それでは『雑談集』の続き。

 一句の主という意味では、

 目には青葉山郭公はつ鰹     素堂

の句でもって、今でも素堂は一句の主と言ってもいい。この句は延宝六年刊言水編の『江戸新道』所収でこの時点でも一世を風靡したのだろう。大胆な季重なりも談林時代なら納得がいく。
 ただそれ以上にこの句が元禄二年刊荷兮編の『阿羅野』に再録されたことが、今日までこの句が評価され続ける理由ではないかと思う。『江戸新道』という集は時代の流れとともに忘れ去られても、芭蕉七部集の一つにこの句があるせいで、近代になっても多くの人の目に留まることとなった。
 今では忘れられているが、談林時代の素堂はなかなかパワーがある。

 茶の花や利休が目にはよしの山  素堂
 遠眼鑑我をおらせけり八重霞   同
 武蔵野や月宮殿の大広間     同

 「我をおらせけり」の「折る」の用法は最近になって「心が折れる」というふうに復活している。
 言水は談林時代に『江戸新道』『江戸蛇之鮓』『江戸弁慶』『東日記』などの編纂の方で活躍したが、句の主となったのは京都に移ってからで、

 凩の果てはありけり海の音    言水

の一句を以て木枯の言水と呼ばれたという。

 「うぐひすや竹の枯葉をふみ落し 荷兮

 竹に鶯を取合せてと案じたらば古歌連歌にまぎらはしくなりて、発句に云ひとられまじくや。また初春の藪のそよぎを鶯かとも気を付けたる所、わづかに作意有り。それも又気色をさがし出て夏に之を求めて新しなどとおもはば、己れ合点したりと人の聞きしるまじき句なるべし。定家卿の歌は聞き得ること稀れ也など申すは恐れ多し。」

 竹に鶯は、

 世にふればことの葉しげき呉竹の
     うきふしごとに鶯ぞなく
            よみ人知らず(古今集)

以来、確かに和歌に詠まれている。当時の俳諧師には、

 鶯の宿しめそむる呉竹に
     まだふしなれぬわか音鳴くなり
            藤原定家(夫木抄)

の歌だったか。竹の節に鶯の鳴く声の節回しを掛けて詠むのがお約束といった所か。古い題材だけに、このまま発句にというのも難しい所だ。
 荷兮の句はこの古い掛詞に頼ってはいない。これが仮に初春の藪で音がしたのを鶯かと思うというなら、和歌にはない新味がある。初句の「鶯や」の「や」は疑いの「や」であって治定ではない。意味は「うぐひすや竹の枯葉をふみ落すや」になる。
 この時代は正岡子規の時代と異なり「作意あり」は別に悪いことではない。むしろ見どころがあるというニュアンスだろう。
 問題は「竹の枯葉」であろう。竹は冬に枯れるのではなく、初夏に竹の伸びる頃に枯れて落葉するので「竹落葉」は夏の季語になる。ただ「夏に之を求めて新し」というのは作り過ぎだ。
 竹に鶯が節を奏でるのではなく、かさこそ音を立てるという趣向迄なら俳諧らしい。鳴く蛙を飛び込む蛙にした芭蕉の句にも通う。そこに「竹の枯葉」を持って来てしまうのは興覚めだというわけだ。
 ただこれは其角の勘違いかもしれない。
 この句は元禄六年刊荷兮撰の『曠野後集』には、

 鶯や竹の古葉を踏落し      荷兮

の形で春の部に掲載されている。『雑談集』より後に出た集なので、其角は『曠野後集』が出る前に別の仕方でこの句を聞いていて、その際「古葉」が「枯葉」になってしまったのかもしれない。
 「古葉(ふるば)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「古葉」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘 名詞 〙 ( 「ふるは」とも ) 古びた葉。前年のまま残っている古い葉。
 [初出の実例]「Furufa(フルハ)」(出典:日葡辞書(1603‐04))」

とあるように、正月になって残っている去年の葉っぱであれば春の意味になる。
 もっとも、逆に其角のこの指摘を受けて枯葉を古葉に直した可能性もなくはないので、何とも言えない。

0 件のコメント:

コメントを投稿