それでは『雑談集』の続き。
「智者仁者の山水に楽も心のうつるところにとどまれる也。是は是はと計り花の芳野山と云ひて、
先の月みよし野の花やふしの雪 貞室
いさのぼれ嵯峨の鮎くひに都鳥 仝
富士角田川此二句をたしなみ琵琶を負ひ枕をかかへて身を風雲につかはれしも実深し。一生かきちらしたる短尺を買ひとりて末期の煙とせしも風雅身とともに終るならんかし。高山麋塒所持のかけものに、
借銭の淵はうづまぬ氷かな 貞室
少年にはみすまじき事ども也。
極月廿七日
いかなる折ふしにか有りけん。いと興あり。」(雑談集)
「知者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ」は『論語』雍也の言葉だという。「楽」の所には「子の曰」とルビがあり、論語の引用であることが示されている。
孔子の言葉を引き合いに出して山水を楽しむ心ということを枕としながら、話題は山水の楽を愛した安原貞室へと移って行くことになる。
貞室というと、
これはこれはとばかり花の吉野山 貞室
の句が有名で其角はこの後の元禄七年刊『句兄弟』でこの句を冒頭に据え、
これはこれはとばかりちるも桜哉 其角
の句を番わせている。この判の所に、
「花満山の景を上五字に云とりて芳野山と決定したる處作者の自然ノ地を得たるにこそ俳諧の須弥山なるべし。よし野と云に対句して、ちるもさくらといへる和句也。是は是はとばかりの云下しを反転せしもの也。」
とある。この句の眼目はその湧き出てくる情を自然のままに「これはこれは」と言い下したところにあると言って良いだろう。当時は誰もが知るような有名な句だった。荷兮編元禄二年刊の『阿羅野』の冒頭を飾る句でもあった。
ここでは其角はそれに加えて更に、
先の月みよし野の花やふしの雪 貞室
いさのぼれ嵯峨の鮎くひに都鳥 仝
の句を紹介する。いずれも富士山、隅田川を詠んだ旅体の句になる。
花の吉野で見た月を今は富士の雪に見る。
隅田川の『伊勢物語』で在原業平が「いざこととはん」と詠んだ都鳥(ユリカモメ)を見て都鳥なら都に飛んで行って俺のことを伝えてくれよというのではなく、嵯峨の桂川の鮎を食いに行って、ついでに‥‥とするところに俳諧がある。
貞室もあちこち旅をしていたようだが、今となっては忘れ去られてしまって、その旅がどのようなものだったのかはよくわからないが、芭蕉が『奥の細道』の旅で山中温泉に来た時、その貞室の消息を聞かされたようだ。
「あるじとする物は、久米之助とていまだ小童也。かれが父誹諧を好み、洛の貞室若輩のむかし爰に来きたりし比、風雅に辱しめられて、洛に帰りて貞徳の門人となつて世にしらる。功名の後、此一村判詞の科を請ずと云ふ。今更むかし語がたりとはなりぬ。」(奥の細道)
と記している。
ここでも、点料を取らずに俳諧を教えたという無欲な人柄が伺える。
「一生かきちらしたる短尺を買ひとりて末期の煙とせしも風雅身とともに終るならんかし。」
というのは、自分の短冊がプレミア付きで高く売られているのを見て、自ら買い戻したというのは、今の作家でも自分のサイン本なんかがメルカリやヤフオクで売られるのは面白くない思う、それに近いものだったのだろう。自分の書は自分の作品を本当に愛してくれる人に所有してほしいということで、大切に持っていてくれる人のものは買い上げたりせず、高山麋塒所持の掛け軸はそのまま麋塒が所持していて其角も見せてもらったのだろう。
「借銭の淵はうづまぬ氷かな 貞室
少年にはみすまじき事ども也。
極月廿七日」
迄がそこに記されていたもので、金に無頓着だから、十二月二十七日と暮れも押し迫っているのに、借金を返す当てはない、とこんな無様な姿を若い未来にあるものには見せられないということか。
無欲ではあるが、傍からすると借金大王の困った人だったのかもしれない。其角も「いかなる折ふしにか有りけん。いと興あり。」というが、面白いけどどうしてそうなったか気になる、といったところか。
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