それでは『雑談集』の続き。
「旦
起き起きの心うこかしかきつばた 仙花
七くさやあとにうかるる朝烏 角」
「旦」は夜明け、明け方、朝という意味だが「元旦」の場合は慣用的に1月1日のことを指し、必ずしも朝のことではない。ここでは元旦ではなく、普通に朝という意味。
仙花の句は路通撰『俳諧勧進牒』に収録されているし、『猿蓑』にも、
起て物にまぎれぬ
朝の間の
起々のこころうごかすかきつばた 仙花
の形で収録されている。
「起き起き」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「起起」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 起きたばかりであること。また、その時。起きたて。起きぬけ。
[初出の実例]「起出て物にまぎれぬ朝の間の 起々の心うごかすかきつばた〈仙化〉」(出典:俳諧・猿蓑(1691)二)
② 起きることをいう幼児語。
[初出の実例]「朝(あった)起々したら、お目覚(めざ)にお薩をやらうヨ」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二)」
とある。句の意味は、朝起きたばかりのまだ忙しくならないうちに、カキツバタが咲いてるかどうか気になる、ということか。それだけ咲くのが楽しみだということなのだろう。カキツバタは浅沢小野や安積などの歌枕にも縁がある。
其角の句は、七草の菜を朝早く摘みに行くと、カラスの方が後から起きてくる、ということか。この句も『猿蓑』に収録されている。
「昼
鳩吹や太山は暗き昼下り 粛山
白雨の日にすかさるるくもり哉 揚水」
この二句はどの集のものかわからなかった。
鳩吹はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「鳩吹」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘 名詞 〙 山鳩を誘いよせるため、または鹿狩の際に猟師が鹿を呼んだり仲間に鹿のいることを伝えるために、手のひらを合わせて吹き、鳩の鳴き声に似た音を出すこと。また、同様の目的で用いられる楽器にもいう。《 季語・秋 》
[初出の実例]「鳩吹や慰ながら病あがり 命ひらうて遠山を見る」(出典:俳諧・西鶴大矢数(1681)第一一)」
とある。狩の鳩笛は昼なお暗き山に聞こえてくるものだ。
白雨は「ゆうだち」と読むが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「白雨」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 雲がうすくて明るい空から降る雨。ゆうだち。にわかあめ。《 季語・夏 》
[初出の実例]「雷鳴白雨、陣立、按察依レ召参入」(出典:貞信公記‐抄・天暦二年(948)六月六日)
[その他の文献]〔李白‐宿鰕湖詩〕」
とあるように、本来は暗雲垂れ込めた夕立ではなく、薄日の射した夕立をいう。「日にすかさるるくもり」はそのまんまと言えなくもない。
「暮
やり羽子に長ばかりの日暮哉 亀翁
日は没とくれぬは梅の木曲哉 柏舟」
「やり羽子」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「遣羽子」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘 名詞 〙 一つの羽子を二人以上で突きあうこと。二人以上でするはねつき。おいばね。やりばね。《 季語・新年 》
[初出の実例]「つき出るやりはごは皆鳥毛哉〈一雪〉」(出典:俳諧・鸚鵡集(1658)一)」
とある。今は歳旦の季語だが旧暦の時代は春の季語になる。「長」には「オトナ」とルビがある。子供は早々に遊び疲れてしまったか、それとも子供そっちのけで大人の方が夢中になってしまったか、日暮れ時に羽根突きをやってるのは大人ばかりだったりする。
「没」は「イレ」とルビがあり、「日は入れど」になる。「曲」にも「フリ」とルビがあり、「梅の木ぶり」になる。日は沈んでも梅の木の枝ぶりは残光の中にまだはっきり見えるということか。
「物おもへとは誰をしへけんとよまれし夕べ夕べの思ひせめて哀れふかし。起て今朝また何事をいとなまんとよみし朝烏の動静にかけて句ことの起点をはたらきぬべし。」
「物おもへとは」は、
あはれ憂き秋の夕べのならひかな
物おもへとは誰をしへけむ
宗尊親王(続古今集)
の歌であろう。夕暮れというのは物悲しいものだ。「起て今朝」は、
起て今朝また何事をいとなまむ
この夜明けぬと烏鳴くなり
よみ人知らず(玉葉集)
の歌で、夕暮の心朝の心を以てして締め括りとする。朝烏が出てきた所で、
七くさやあとにうかるる朝烏 其角
の句に戻ることになる。
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