2025年1月29日水曜日

 今日はまた寄(やどりき)の蝋梅を見に行った。今回はほぼ満開だった。
 前に来た時には鹿シチューを食べたが、今回は猪汁を食べた。

 それでは『雑談集』の続き。

 「露といふ題は案じては成るまじき也。秋の句の付合にはかろがろしく思ひ寄り侍れども、心を付けてはそれもなりがたし。かの紀行の中に、

 朝露や指にはさまるうつの山   粛山

 これらは自然に云ひおほせたる成るべし。又、

 しら露や無分別なる置き所    梅翁

と観念のうへにかけてはいろへがし。」(雑談集)

 粛山の紀行は不明。東海道の宇津ノ谷峠のある辺りの宇津の山を旅した時の句であろう。「宇都の山で朝露の指に挟まるや」の倒置。朝早く山の中を歩いていると落ちてきた露が指の間に挟まったという、見たものそのまま詠んだと思われる。
 梅翁(宗因)の句は、辺り一面に降りた露を「無分別」という所に俳味がある。「観念」はこの場合、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「観念」の意味・読み・例文・類語」の、

 「① ( ━する ) 仏語。心静かに智慧によって一切を観察すること。また一般に、物事を深く考えること。
  [初出の実例]「親授二灌頂一、誦持観念」(出典:性霊集‐四(835頃)請奉為国家修法表)
  「我、一心に極楽を観念するに」(出典:今昔物語集(1120頃か)一五)」

の意味で、白露の観察によって、その法則の無さを見出し、そこにこの世の定めの無さまでをも感じ取る観念の句になる。
 露は涙などの比喩として用いられることが多く、季語の放り込みにも便利な上、連歌式目でも使用回数が制限されてないため、付け句では多用される。
 例えば「されば爰に談林の木あり梅の花 宗因」を発句とする『談林十百韻』の第一百韻には、

   小男鹿や藁人形におそるらん
 五色の紙に萩の下露       松臼

   つよくいさめし分別の月
 お盃存じの外の露しぐれ     松意

   山門の破損に秋やいたるらん
 手代にまかせをけるしら露    一朝

   諸方のはじめ冷ひえておどろく
 其形こりかたまりて今朝の露   正友

   網引場月の出はには西にあり
 木仏汚す蠣がらの露       雪柴

と「露」は五回用いられている。
 芭蕉・其角の参加した『俳諧次韻』にも、「鷺の足」の巻五十韻に、

   心の猫の月を背ける
 露に寐て且易馴易忘       才丸

   笑の木愁る草の野は眛く
 亦露分る娑婆の古道       揚水

 「春澄にとへ」の巻百韻に、

   月の秋うらみはこべの且夕て
 露にしがらむ妹が落髪      桃青

   月に秋とふ東-金の僧
 淋しさを蕎麦に露干す豆俵    才丸

 「世に有て」の巻百韻に、

   内に寐ても心はきのふ羇旅
 米とぐ音の耳に露けき      揚水

   粟刈敷て団子干す比
 露鶏の羽がひの鷇ひよひよと   揚水

   きたなくて清き隣と住月に
 明て寐御座をかけ渡す露     才丸

   風の月熱の御灵を鎮めける
 黄なる小僧の怪しさよ露     其角

などの句が見られる。

「石菖の露も枯れ葉や水の霜    角
 雫とは似て似ぬものや草の露   幸水

 さまざまに作り分けたる菊の中に飼れて、

 白鳥の碁石になりぬ菊の露    角」(雑談集)

 其角の句は、「石菖の露も(いつしか)枯れ葉の水の霜(となる)や」という言葉の続き方だろうか。文法的には難しい。石菖は寒さに強く冬越しもできるが、霜が降りると葉が茶色くなり枯れたみたいになる。秋の石菖に降りる露は奇麗でも、やがてその露の水は凍って霜に変わる。
 幸水の句は「草の露は雫とは似て似ぬものや」の倒置でわかりやすい。
 比喩で用いられることの多い露も発句では実際の露の興を起こして、その心に迫る方法が望ましい。追悼などの句ではその限りでないが、発句は基本的に季語の心を言い興すものだ。月見の句でも月を見る心が大事で、「月見あるある」は駄目というほどのものではないにせよ、それより一つ格が落ちる。

 白鳥の碁石になりぬ菊の露    其角

の句はいかにも其角らしい難解な句だ。
 問題はこの場合の白鳥が何を意味するかだが、「菊の中に飼われ」とあるから、今日のハクチョウとは思えない。
 和歌では「しらとり」は鷺坂山を導き出すのに用いられている。鷺坂山は今の京都府城陽市久世の辺りの坂道だと言われていて、ハクチョウの棲めそうな池もなさそうなので、しらとりは鷺を導く枕詞としてシラサギをそう呼んでいたのではないかと思われる。
 また、しらとりは鳥羽田にも詠まれる。京都伏見の鳥羽の田んぼで、これも鳥の羽に掛けたものと思われる。
 ハクチョウにせよシラサギにせよ、菊の咲く庭で飼っていたとは思えない。そうなると、ますます謎は深まる。
 ただ、昔は田んぼのある所には溜池は付き物なので、そういった所にハクチョウが飛来してたとしても不思議はない。シラサギとハクチョウの句別は、江戸時代でもツルとコウノトリの句別が曖昧だったように、それほど厳密ではなかったから、「しらとり」から鷺を導き出すのも、そんなに不自然ではあるまい。
 白鳥が文字通りのハクチョウだとすれば、「碁石になりぬ」は白い親鳥と灰色の若鳥の混在した状態だというのが理解できる。旧暦九月くらいだと雛鳥は成長したものの、まだ灰色の毛を残していて、確かにそれを碁石に見立てることも可能だろう。
 もう一つ考えられるのは、白鳥は単なる白い鳥という意味で庭で飼われる鶏か家鴨を意味していた可能性だ。家鴨も時代は下るが鈴木其一『水辺家鴨図』でも白い家鴨と濃色の家鴨とが混ぜて描かれている。これだと飼われていてもおかしくない。
 「菊の露」は菊の花に降りた露の実景として、ハクチョウの白と灰色の混じる池の畔に咲いている景色と見るのが表向きの意味になる。ただ、「菊の露」は重陽の菊の酒を連想させ、酒といえば白磁で出来た徳利のことを白鳥徳利と呼んでたことがまた連想される。
 元禄七年刊の『其便』所収の、

 白鳥の酒を吐くらん花の山    嵐雪

の句は白鳥徳利のことと思われる。
 白鳥がハクチョウなのかアヒルなのかは決定しがたいが、白鳥は白鳥徳利に掛けていて、菊の露に菊の酒の連想が生じることは狙っていたのではないかと思う。アヒルだったら酒の肴にもなる。(ハクチョウも食べてはいたがあまり一般的ではなかった。)

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