韓国も日本も去年の後半に急激に中国寄りに動いて、これまでバイデン政権が作って来た日韓台、それにインドを加えた南からの中国包囲網が崩壊寸前になった。
中国の情報操作による陰謀のようなものは多少はあるだろうけど、基本的には日本の戦後思想が招いてきたことだ。
戦後思想は簡単に言えば世界は天下統一をめぐる時代で、日本は既に敗退したから、どこが世界を統一するのか、その勝馬に乗ろうというものだ。戦後のしばらくはアメリカ追従が主流で、その一方ではソ連や中京に同調しようとする左翼がいた。特にこの反米的な人たちは、ソ連の崩壊とともに一気に中国へ流れていった。
中国や韓国の反日感情は一朝一夕に作られたものではなく、戦後長い時間をかけて日本の左翼たちが旧日本軍の残虐さをことさら誇張して語り、歴史の捏造までして広めてきたものだった。
反日は戦後思想に基づいて日本人が考えだし広めてきたもので、今でも高齢者に戦後思想は根強く支持されている。
中国やロシアの脅威にしても彼らには日本を守るのではなく、いかに平和的に日本を中国に併合させるかの戦いに他ならない。プーチンと習近平が台頭してきた頃は日本で反安部闘争起し、それをマスメディアはかなり過大に誇張して伝えてきた。特に朝日新聞は2チャンネルやTwitterジャパンの中に根を下ろし、ネットでも反日工作を続けてきた。
マスクさんが来るまでは、Twitterでは毎日のようにネットデモが行われていて、それに反対するアカウントは凍結されていった。だから、あの頃に右翼は自分たちで独自のSNSを立ち上げることを真剣に考えていた。マスクさんがTwitterを買収するまでは。
まだ2チャンネルが健全だった頃、中国・韓国・北朝鮮・日本が一つにまとまれば最強だというようなことが言われてたが、左翼はその構想に概ね則って今日でも毎日のように中国や韓国にニュースを流してきたし、ロシアを賛美したりしてきた。
こうした活動が去年の日本の政変と今の韓国の混乱につながり、中国包囲網はもはや崩壊寸前になり、台湾進攻の準備が整いつつある。
おそらく水面下で彼らはこう脅してるのだろう。台湾に介入するなら沖縄などの南西諸島を攻撃すると。そして、戦後思想に毒された多くの人達が、戦争を回避するためには中国に従い、台湾を見捨てるべきだとそう考えている。それが高市さんを排除し、今の石破政権を動かしている。
おそらく中国は台湾を併合したら、次は南西諸島は中国の固有の領土だということで、返還を要求してくるだろう。この時も、拒めば本土を攻撃すると脅せば、平和を愛する日本国民の多くは日本が戦場にならないようにするために沖縄の割譲に同意することだろう。
そして次は日本本土だ。その時のために戦後思想の申し子達は、日本の平和的併合へと情報操作を続けている。戦争は悪だ。誰も死なないならその方がいい。国を守るために命を懸けるなんて馬鹿げたことだ。そう言い続ける。その一方で日本は相変わらず野蛮な後進国で、貧富の差が激しく、庶民は皆貧困にあえいでいて、中国が支配した方が生活が良くなるかもしれないみたいに説き伏せてくるだろう。
日本製鉄の問題も、日本が既にいつ中国に寝返るかもしれない危険な国家として認識され始めていることの表れではないかと思う。このままだと次のトランプ政権は日本や韓国を無視して、北朝鮮やロシアとの融和を進め、北からの中国包囲網に切り替えることになるだろう。
北朝鮮は民族自決意識が高くて中国を警戒している。北朝鮮の核兵器はアメリカの方だけを向いているのではない。またロシアとの軍事的に協力しあう条約を締結したのも、敵はアメリカだけでないはずだ。
それでは『雑談集』の続き。たとえ日本の国境が守れないとしても、日本の文化は守らなくてはならない。
「閑見月 更る夜の人をしづめてみる月に
おもふくまなる松風のこゑ
名月や畳の上に松の影 角
難問 花影乗月上欄干 此句に思ひ合する時は畳の上の松影春秋分ならず。夏の夜の涼しき体にもかよふべきか。 答 春の月なるゆゑ花影欄干に上るとはいへり。
おぼろとは松の黒さに月夜かな 角
光廣卿はるの月の嵐に霞まぬ心をよませ給ひてかうもよみことはよめとも春月の本意は朧々とかすみたる体がよきなりと仰せられたり。」(雑談集)
和歌の方は誰の歌かよくわからない。似た歌は、
秋の夜は人をしづめてつれづれと
かきなす琴の音にぞなきぬる
よみ人しらず(後撰集)
松風も空にひびきて更くる夜の
梢に高き深山べの月
永福門院内侍(風雅集)
がある。意味はこの二つを合わせたようなもので、人が寝静まり夜も更けていく中で聴く琴の音ならぬ松風の音が悲しい、というもの。月の夜に男の通うのを待つ女を面影だったのを、仏教の無常感に転じたといった所だろう。
これを前書きとして、
名月や畳の上に松の影 其角
の句が提示される。
この句を聞くと思い出すのが、
わが宿は四角な影を窓の月 芭蕉
の句だが、芭蕉の句は貞享元年とされているが初出は元禄九年の『芭蕉庵小文庫』、其角の方はこの『雑談集』が初出のようで、どっちが先だったか実際の所はわからない。例によってお互い張り合って作った感がする。質素な何もない部屋の四角い影で「花も紅葉もなかりけり」の寂びの境地の芭蕉、松の影を添えて華やかな幻想を誘う其角、両者の個性がにじみ出ている。
さらに言えば、其角の句は貞徳の、
切りたくもあり切りたくもなし
さやかなる月をかくせる花の枝
を踏まえているとも取れる。月を遮る花の影なら迷う所だが、枝ぶりの良い松の影なら「まいっか」って気分にもなる。
其角は総じて曖昧な句から想像を膨らますことを求める。
あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声 其角
の句は「あれ」が何なのかあえて謎にしておいて、三井寺の鐘なのかとあれこれ想像させておいて、『猿蓑』の巻頭で、
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 芭蕉
あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声 其角
と並ぶと、蓑笠着た猿の断腸の声を聴けというふうにカチッとはまることになる。
まんじゅうで人を尋ねよ山桜 其角
の句も、最初の作為はわからないが、この句をみちのくに旅立つ桃隣に餞別として送ったということになると、まんじゅうで尋ねる人が芭蕉さんのことだと、これもカチッとはまってしまう。これが其角一流のテクニックだ。
だから、この名月やの句もそのあとの問答を通じて、何かにカチッとはめようとしてやってる感じがして、前から温めて置いたこの句を一気に引き立てようとしたのではないかと思う。
難問は今日の意味での難しい問題ではなく、「難じて問う」であろう。
「花影乗月上欄干 此句に思ひ合する時は畳の上の松影春秋分ならず。夏の夜の涼しき体にもかよふべきか。」
花影乗月上欄干は、
夜直 王安石
金炉香尽漏声残 剪剪軽風陣陣寒
春色悩人眠不得 月移花影上欄干
ではないかと言われている。花の影ではなくここでは松の影なので、松影の句が春とも秋ともつかないなんてのは今時のネットのDQNもやらないような言いがかりだし、自作自演の可能性がある。
名月とある以上秋の句なのは明白だ。その情は、先のあの和歌で示したということだろう。
「答 春の月なるゆゑ花影欄干に上るとはいへり。」
王安石の詩なら、はっきりと春の字が書かれているし、それは疑いようもない。
ただ、この問答をすることで、さりげなく其角のこの句が立派な中国の宮殿の欄干に映る花の影にも比すべきものだというのをアピールできる。実際、この松の影が畳と書いていあるのに、欄干に映る影を見たとする解釈もある。
作者としてはそんなのどっちでもいいんだろう。中国の宮殿の華やかな欄干を想像しようが、長屋の畳を想像しようが、その人の趣味嗜好にカチッとはまってくれればこの句は其角にとっては成功ということになる。この変幻自在さが其角の句の味わいでもある。
芭蕉は良いにつけ悪いにつけ、句の意味は芭蕉個人の人生というか生き様に深く結びついている。其角の句にはそれがない。「伊達を好んで細し」というのは、要は粋なかっこいい言葉を生み出すことが大事だったということだ。
この問答のあとに付け加えた、
おぼろとは松の黒さに月夜かな 其角
の句は、「花影欄干に上る」の興だとこういう句になるという一つの見本であろう。名月は仲秋限定だが「月夜」なら「おぼろ」と組み合わせることで春の句することができる。季語は「朧月夜」ということになる。季重なりではなく、朧月夜という季語を朧と月夜に分散させと考えた方がいい。
光廣卿は烏丸光弘で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「烏丸光広」の意味・読み・例文・類語」に、
「江戸初期の公卿、歌人。権大納言。姓藤原。法名泰翁。細川幽斎の門に入って古今伝授を受け、一糸和尚に参禅。歌道、歌学の復興に努める。主著「耳底記」、家集「黄葉集」など。仮名草子「目覚し草」などの作者ともいわれる。天正七~寛永一五年(一五七九‐一六三八)」
とある。嵐に霞まぬ春の月を詠んだ歌があったのだろう。ただそれは本来霞むべき月が霞まないという所に新たな情を込めただけで、春の月は朧に霞むのを本意とする。
烏丸光弘ではないが、中世にも既に、
嵐ふく花は今年も春の夢
見はてん月にきゆる白雲
正徹
の歌があり、嵐に花が散り、月の霞も吹き飛ばされれば春も終わって行く。霞まぬ春の月も春の終わりの情なら有りだろう。
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