そうだね、早く南北統一して、日本を超えてってほしいね。優秀な民族だから必ず出来ると思うよ。
それには日本から独立するだけでなく、日本の戦後思想からも早く独立した方がいい。それが第二の独立戦争だと思う。
それはともかくとして、「俳諧問答」の続き。
「常盤木の落葉、夏也。『松の葉のちりちり落る月の影』右二句共ニ作者一座共ニ、秋とおぼえたると見えたり。二句共夏也。三句目に鹿の句あり。是只一句也。唐がらしの句秋にしても、中の月の句夏に成也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.149~150)
松永貞徳の『俳諧御傘』には確かに「ときは木の落葉は夏也。」とある。ただその後に続けて「又、落葉に常盤木のちる・松の葉の散、連には折を嫌とあれば‥‥」とあり、常盤木の落葉と松の落葉は区別しているようにも思える。
『応安新式』の一座三句物の所には「落葉(只一、松の落葉一、柳ちるなど云て一)」とあるが、「連歌新式紹巴注」には「松・竹の落葉は雑也」とある。
『猿蓑』には、
禅寺の松の落葉や神無月 凡兆
の句があるが、ここでは「松の落葉」は雑として扱われているように思える。
清滝や波にちり込む青松葉 芭蕉
の句も単なる松の散るではなく「青松葉」とある。これを見ると芭蕉も「松の散る」だけでは雑という意識があったのではなかったか。
青き中よりちぎる南蛮 乙州
の句にしても、青唐辛子がこの時代に夏の季語として確立されていたかどうかは怪しいし、
青き中よりからき南蛮
松の葉のちらちら落る月の影 朴吹
の句も「松の葉」を無季とすれば普通に月の句で秋の句となる。そこで、
松の葉のちらちら落る月の影
たしかに鹿の鳴声を聞 丹野
と展開するのは自然だ。
「又三句置て雲の峯あり。かやうの事、師遷化し給ふと、はや五七三十五日の中ニ、人口にかかる事を仕出し、其分ニても捨侍るか、あまつさへ梓にちりばめ、一天下の人の眼にさらしたる事、れきれきの宗匠達の寄合、歯がねをならす膳所衆など、さてさて頼母しからず。先生ハ其巻半ノ時、出座し給ふときく。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.149~150)
この巻の十八句目と三十五句目には確かに去来の句がある。
ただ「青唐辛子」や「落ち松葉」がこの頃夏の季語として確立されていたかどうかは微妙なので、あながち間違いとは言えない。
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