旧暦七月も残り少なく、ここの所暑さも和らいでいる。ただこのままということもないだろうな。まだ暑さが戻ってきたりするんだろうな。
それでは「哥いづれ」の巻の続き。
名残表、七十九句目。
りんきいはねど身をなげんとや
我よめが男の刀ひんぬいて 貞徳
前句の「身をなげんとや」を刀の身を投げるとした。昔の女はこえー。
貞徳自注に、
「身を刀の身になして、男になげつけるとする也。」
とある。
八十句目。
我よめが男の刀ひんぬいて
祝言の夜ぞ酔ぐるひする 貞徳
結婚式の夜の酒宴での出来事だろう。酔っ払った嫁が刀をひんぬいて、まあ剣の舞くらいだったら笑える。酔狂(よいぐるい)、ひっくり返せば酔狂(すいきょう)になる。
この句に貞徳の自注はない。
八十一句目。
祝言の夜ぞ酔ぐるひする
生魚を夕食過て精進あげ 貞徳
「精進あげ」はウィキペディアの「精進落とし」のところに、
「精進落とし(しょうじんおとし)とは、寺社巡礼・祭礼・神事など、精進潔斎が必要な行事が終わった後に、肉・酒の摂取や異性との交わりを再開したり、親類に不幸があって通常の食事を断って精進料理を摂っていた人が、四十九日の忌明けに精進料理から通常の食事に戻すことなどを言う。お斎(おとき、おとぎ)、精進明け、精進上げ、精進落ちとも言う。」
とある。
「祝言」は結婚式の意味で使われることが多いが、単に祝いの言葉という意味もある。
何かお目出度いことがあっても精進の必要な期間には避けて、精進揚げを待ってからする場合もあったのだろう。
貞徳自注に、
「生魚にて酔ととりなす也。精進あげにて祝言は付べし。」
とある。
前句の「酔ぐるひする」はここでは酒の酔いではなく生魚の酔いに取り成される。
生魚の酔いは、おそらく寄生虫による中毒のことであろう。サバ、アジ、サンマ、カツオ、イワシ、サケ、イカなどはアニサキス幼虫による中毒がよく知られているが、川魚にも寄生虫は多い。今日ではきちんと衛生管理されたものが流通しているが、昔は刺身で当たることも多かったのではないかと思う。軽い症状で済めば「酔い」ということで済まされたのではないかと思う。
まあ、精進揚げとはいえ、いきなり生魚ではばちも当たるというところか。
八十二句目。
生魚を夕食過て精進あげ
寺のかへさに呼やあみ引 貞徳
貞徳自注に、
「難波寺なり。万葉に大宮の内まできこゆと云歌もあれば、海士のよび声に成べし。」
とある。
『連歌俳諧集』の注は、
大宮の内まで聞こゆ網引すと
網子ととのふる海人の呼び声
長忌寸意吉麻呂
の歌を引用している。
八十三句目。
寺のかへさに呼やあみ引
難波江のさきに亀井の水をみて 貞徳
前句の寺を四天王寺として、四天王寺の亀井堂を見てから難波江に行くとする。亀井堂は四天王寺のホームページに、
「亀井堂の霊水は金堂の地下より、湧きいずる白石玉出の水であり、 回向(供養)を済ませた経木を流せば極楽往生が叶うといわれています。
東西桁行は四間あり、西側を亀井の間と読んでいます。東側は影向の間と呼ばれ、左右に馬頭観音と地蔵菩薩があります。中央には、その昔聖徳太子が井戸にお姿を映され、楊枝で自画像を描かれたという楊枝の御影が安置されています。」
とある。
なお、この句には貞徳の自注はない。
八十四句目。
難波江のさきに亀井の水をみて
こと浦までも月の遊覧 貞徳
貞徳自注に、
「こと浦も名所なり。」
とある。
こと浦は琴浦とも異浦とも書く。尼崎の蓬川の河口付近の浜で、近くに琴浦神社がある。
忘しな難波の秋の夜はの空
こと浦にすむ月はみるとも
宜秋門院丹後(新古今集)
の歌がある。
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