香港はどうなるのかな。竹のカーテンの時代とは違い、さすがに今では隠せないからな。やらないとは思うが。
そういえば、野口悠紀雄さんが中国が日本を「豊かさ」で抜く…その時起きる戦慄すべき事態、何てことを言ってたけど、一体何に戦慄しているのかさっぱりわからない。中国に限らずどの国でもどんどん豊かになって行けば世界全体が豊かになるのだから、何も悪いことなんてない。
ただ、中国がそうなるためには更なる開放政策を推し進め、民主国家として生まれ変わる必要がある。せっかく市場経済の恩恵で高度成長を果たしたのに、それを仇で返すようなことをすれば、今の市場経済によって受けている恩恵も明日には失うことになる。
野口さんはまさか今の独裁国家のまんま中国が豊かになれるなんて、本気で信じているのかな。中国が豊かになるなら、それは中国が良い国になるということだから何ら心配はいらない。日本人も安心して中国に働きに行けばいい。
著名な投資家のジム・ロジャーズさんは韓国は買いだと言っているが、韓国が慰安婦問題日韓合意を遵守して日本と未来的な関係を構築し、日米韓一体となって北朝鮮に手を差し伸べ、南北統一が実現できたなら、本当にその通りになるはずだった。そうなるなら、別に韓国も恐れる必要はない。韓国がそれだけ良い国になるのだから、安心して働きに行けばいい。
それでは「哥いづれ」の巻の続き。
二裏、三十七句目。
哥にはよらぬ人の貧福
観音の占や当座の用ならん 貞徳
観音箋に関しては『連歌俳諧集』の注に、
「古来最も広く行われているもので、第一より第百までの番号をつけた竹の札を、御箋箱から一つ抜き出し、観音堂内に掲げてある百首の和歌と対照して自分で判断し、あるいは寺僧に頼んで判断してもらう。鎌倉時代に中国より伝来。」
とある。
今日のおみくじにも、大吉だとか凶だとか「待ち人来たる」とかだけではなく、和歌も書いてある。あまりちゃんと読む人はいないようだが、観音箋から今日に引き継がれているのだろう。一から百までの番号もおみくじに書いてある。場所によっては御神籤箱から棒を一本引いて、そこに記された番号のおみくじを引き出しから出すところもある。
歌は書いてあっても、占いは当たるも八卦当たらぬも八卦で、縁起の良い歌が出たからといって裕福になれるとは限らないし、不吉な歌だからといって貧しくなるわけでもない。おみくじはその場の気休めというか、昔の言葉なら「当座の用」というところだ。
貞徳自注に、
「くわんおんのうらとて、哥にてする也。」
とある。
三十八句目。
観音の占や当座の用ならん
清水坂の辻にまつ袖 貞徳
貞徳自注には、
「辻占と付たり。」
とある。
「辻占(つじうら)」の本来の意味は、ウィキペディアにあるように、
「元々の辻占は、夕方に辻(交叉点)に立って、通りすがりの人々が話す言葉の内容を元に占うものであった。この辻占は万葉集などの古典にも登場する。」
というものだった。だた、同じくウィキペディアには、
「江戸時代には、辻に子供が立って御籤(これも一種の占いである)を売るようになり、これも辻占と呼んだ。前述の辻占とは独立に発生したもので、直接の関係はない。さらに、辻占で売られるような御籤を煎餅に入れた辻占煎餅(フォーチュン・クッキーはここから派生したもの)が作られ、これのことも辻占と呼んだ。」
とある。これは多分もう少し後のことだろう。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「黄楊(つげ)の櫛を持って四辻に立ち、道祖神に祈って歌を三遍唱え、最初に通りかかった人の言葉によって吉凶を判断したこと。黄楊の小櫛。〔文明本節用集(室町中)〕
※浮世草子・好色一代男(1682)四「辺を見れば黄楊の水櫛落てげり。あぶら嗅きは女の手馴し念記ぞ、是にて、辻占(ツヂウラ)をきく事もがなと」
という西鶴の小説にも出てくるくらいだから、江戸前期ではこうした辻占が行われていたと思われる。
辻占をすると言って櫛を持って出かけていったが、それはあくまでも口実で、実際には逢引をしてたというわけだ。
三十九句目。
清水坂の辻にまつ袖
かつたゐにうはなり打をあつらへて 貞徳
「かつたゐ」は「かたゐ(乞食)」のこと。托鉢僧や祝言を述べて米や金銭を貰うものも、ここに含まれた。ここでいう「かつたゐ」もそういう職業的なものだったのかもしれない。
「うはなり打(後妻打)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「室町時代から江戸期にかけての民間習俗。夫が後妻をめとったとき、離別された先妻がその親しい女たちをたのみ、使者をたてて予告し、後妻の家を襲い、家財などを打ちあらさせたこと。相当打ち。騒動打ち。」
とある。金払って職業的な乞食身分の者を雇うこともあったのだろう。
なお、この句には自注がない。
四十句目。
かつたゐにうはなり打をあつらへて
ぬれるうるしにまくる小鼓 貞徳
この句は倒置で「小鼓に塗れる漆にまくる(かぶれる)」という意味。
貞徳自注には、
「小つづみぬれば、うるしにまくるといふ句作なり。」
とある。
後妻を貰ってうはなり打ちに逢うことを、自分で塗った漆に自分でかぶれた(自業自得)とする。
四十一句目。
ぬれるうるしにまくる小鼓
新敷烏帽子をきねばかなはぬか 貞徳
「新敷(あたらしき)」の敷(しき)は当て字なのだが、漢文でも日本では熟語のように用いたりする。
『連歌俳諧集』の注には、
「中世から近世初期にかけての武家の元服には、加冠の役(烏帽子親)と理髪の役があり、理髪の役が童子の髪の先を紙にくるんで切ると、烏帽子親が新調の烏帽子をかぶせ、それがおわると祝宴となり、一座の者が鼓拍子などで舞った。なお烏帽子は漆で塗り固める。」
とある。多分これでいいのだろう。
新しい烏帽子を着ればこれにかなう物はない。漆を塗った烏帽子には小鼓も負ける。
この句にも自注はない。
四十二句目。
新敷烏帽子をきねばかなはぬか
童部名ばかり人ぞ呼ぬる 貞徳
前句の「きぬ」の「ぬ」を完了ではなく否定の「ぬ」とする。烏帽子がなければ大人に見えず、みんなつい幼名でよんでしまう。
この句にも自注はない。
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