「哥いづれ」の巻の続き。
六十一句目。
節分の夜にまゐる宮方
明年は神よまもらせおはしませ 貞徳
前句の宮方を「神社のほう」の意味にしたか。節分の夜に神社に行き、来年も守らせたまえと祈る。
この句に貞徳自注はない。
六十二句目。
明年は神よまもらせおはしませ
いつ住吉ぞ名月のかげ 貞徳
住吉大社は和歌三神(住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂)が祭られていて、古来風流の道と縁が深い。今日では観月祭も行われている。
『源氏物語』の明石巻では、雷が荒れ狂い高潮が押し寄せる中、住吉社の方角に向って祈ると、翌日には天気が治まる。
明年は名月が見られなすようにと住吉の神に祈る。
貞徳自注には、
「八月十五夜くもりければ、住吉の神主とがあるよし侍る。」
とある。
「良し」は記紀万葉の時代には「えし」と読んでいた。そこから吉野は「えしの」、日吉は「ひえ」、住吉は「すみのえ」だった。「えし」が「よし」に変化するようになって、「よしの」「ひよし」「すみよし」となった。
六十三句目。
いつ住吉ぞ名月のかげ
露ほどもあやかり度は定家にて 貞徳
前句の「名月」を定家の『明月記』のこととする。
貞徳自注には、
「定家は住吉明神示現ありて明月記をしらせり。」
とある。
これに関しては『連歌俳諧集』の注に、『毎月抄』を次の文を引用している。
「去元久比住吉参籠の時、汝月明らかなりと冥の霊夢を感じ侍りしによりて、家風に備へんために明月記を草しをきて侍事、身には過分のわざとぞ思給る。」
六十四句目。
露ほどもあやかり度は定家にて
内親王とちぎるいく秋 貞徳
定家と式子内親王との関係は古来様々に推測され、謡曲『定家』にもそのことが描かれている。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「謡曲。三番目物。古くは『定家葛(ていかかずら)』とも。旅僧が京都千本付近のあずまやに雨宿りすると、式子(しきし)内親王の霊が現れ、生前契った定家の執心が葛(かずら)となって墓に絡んでいることを語るが、僧の回向によって成仏する。」
とある。
貞徳自注に、
「式子内親王なり。」
とある。式子内親王は「しょくしないしんのう」と読むのが一般的だが、「しきしないしんのう」とも読む。式の字を「しょく」と読むのは漢音で、「しき」は呉音になる。ただ、今日では呉音の方が一般的に用いられている。
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