今日は久しぶりに古代東海道の推定路を歩く旅の続きで、布佐から龍ヶ崎まで歩いた。距離は短かったが、途中から日が照ってきて暑かった。
それでは「哥いづれ」の巻の続き。
四句目。
空にしられぬ雪ふるは月夜にて
いつも寝ざまに出す米の飯 貞徳
貞徳自注に、
「山寺の児(ちご)のねがひに月夜に米の飯といふ諺なり。」
とある。
山奥だと米もあまり取れず、麦や雑穀や野菜などを混ぜて炊くのが普通だったのだろう。せめて名月の夜くらいは米だけの飯を喰いたいと思うものの、いつも稚児の寝る時間になるのを待って、偉い坊さんだけが米の飯を喰っている。
稚児は寺院で召し使われている元服した少年のことで、夜の相手をすることもある。
五句目。
いつも寝ざまに出す米の飯
投はふる鮨の腹もやあきぬらん 貞徳
貞徳自注に、
「投て横ざまになるをねざまといふなり。」
とある。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」にも、
「〘名〙 (「ねさま」とも)
① 寝ている時のようす。寝姿。ねぞう。
※宇治拾遺(1221頃)一〇「式部丞がねざまこそ心得ね、それおこせ」
② 寝る時。ねぎわ。
※どちりなきりしたん(一六〇〇年版)(1600)八「ねさまにもをこた
らずそのぶんつとむるためには何事をすべきや」
とある。打越に付いたときには②の意味だったが、ここでは①の意味に取り成す。
昔の鮨はなれ寿司で、塩漬けにした魚とご飯を交互に重ね乳酸発酵させる。
このとき魚の腹を割いてそこにご飯をつめる製法もある。この場合だと、鮨を投げ出せば腹が開いて中のご飯が飛び出してしまう。
「なれる」というのは輪郭がなくなる、境目がなくなることをいう言葉で、本来は魚の形がはっきりしなくなるまで何ヶ月も漬け込んで熟成させていた。
六句目。
投はふる鮨の腹もやあきぬらん
桶もちながらころぶあふのき 貞徳
鮨を投げるのではなく、桶を運ぶ時に転んだのを見て、中に鮨が入ってたら腹が開いてるだろうな、前句を推量とする。
「あふのき」は仰向けのこと、あるいは上下が逆になること。「あふのきにころぶ」を俳諧では倒置して「ころぶあふのき」と体言止めにして字数を整える。瓜の皮でも踏んだのだろうか。
貞徳自注には、
「投ものを桶にとりなす也。すしはおけにてあひしらふなり。」
とある。「あひしらふ」は「あへしらふ」「あしらふ」と同じで、取り合わせのことをいう。鮨と桶は付け合いといってもいい。
七句目。
桶もちながらころぶあふのき
すべるらし水汲道ののぼり道 貞徳
鮨桶ではなく水汲みの桶とする。
貞徳自注には、
「あふのきにころぶとある故に上り坂ととりなすなり。」
とある。
八句目。
すべるらし水汲道ののぼり道
滝御らんじにいづる院さま 貞徳
「すべる」には退位するという意味もある。最後に「院様」ともってくることで、坂道ですべったのかと思いきや退位なされた院様のことだったか、と落ちになる。
貞徳自注に、
「すべるとあるを御位にとりなすなり。」
とある。
今だったら、
すべるらし水汲道ののぼり道
山イベントに向う芸人
といったところか。
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