京アニの放火事件で亡くなった人の全氏名が昨日公表された。これで、ファンの人も心の区切りをつけることもできるだろう。生死不明で怪しげな情報の飛び交う状態というのは決していい状態ではない。公表は正解だと思う。
事件があるたびにマスコミがどうでもいいことまで詮索したり、死者の恥部まで暴き出そうとするもんだから、マスコミに対して不信感があるのは当然のことだが、氏名の公表はそれとは切り離して考えた方が良いと思う。
特に京アニは世界中にたくさんのファンを持つ、世界に誇れる芸術家集団なのだから、氏名の公表を何ら恥ずべきものではない。くだらないことをいうやからも多少はいるだろうが、その何千倍、何万倍の人がその死を惜しみ悲しんでくれている。
真面目な話、遺族が独断で氏名の公表を拒否できるなら、巨大な陰謀があって邪魔者を処分した場合、遺族に圧力をかけて永久にその名を消し去ることも出来てしまう。
まあ、そういうわけで一体何をもめているのか、私、気になります。
それに付けても「哥いづれ」の巻の続き。
八十五句目。
こと浦までも月の遊覧
秋は唯白き衣裳を表ぎに 貞徳
貞徳自注には、
「月見のしやうぞくをうら表白くしたる也。」
とある。
月見のときに実際何か決まった服装があったのかどうかはよくわからない。白装束というと、神仏に仕えたり、花嫁衣裳だったり、死んだ人の着るものだったり、いずれにせよ日常とは違う何か意味合いがあったのだろう。
加えて、五行説では秋は白になる。青春・朱夏・白秋・玄冬、そして各々の季節の土用が黄色になる。
八十六句目。
秋は唯白き衣裳を表ぎに
いそぐよめりときくや重陽 貞徳
前句の白装束を花嫁の衣裳とする。「よめり」は「よめいり」の縮まったもの。
「きくや」は「聞くや」と「菊や」に掛けている。菊から重陽(九月九日)を導き出すが、秋の季語が欲しいので一種の放り込みといえよう。
貞徳自注には、
「よめいりには白きしやうぞくさだまり也。」
とある。
八十七句目。
いそぐよめりときくや重陽
たのめたるたのもの比もつい立て 貞徳
貞徳自注に、
「たのむの朔日(ついたち)の比とやくそくしたるよめいりも、延引してとのけたり。」
とある。
「たのむ」は田実(たのむ)の祝いのことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 陰暦八月一日に、新穀の初穂を田の神に供える穂掛けの儀式。また新穀や品物を互いに贈答する行事。たのみの祝い。たのもの寿(ことぶき)。たのみ。〔俳諧・毛吹草(1638)〕
② (「たのむ(田実)」が「たのむ(頼)」(主として頼みにする意)と同音であるところから) 武家の年中行事の一つ。陰暦八月一日に、家臣から主君に太刀・馬・唐物などを贈り、主君からも答礼に物を賜わること。鎌倉中期以後にみられ、室町時代には、朝廷にも及んで幕府より太刀目録を献じ、公家・武家が将軍家に礼物を献進した。江戸時代には、徳川家康が江戸入城を八朔の吉日に選んだことから、元日に次ぐ重要な式日とし、諸大名は登城して太刀を献上し、賀詞を述べ、また、幕府から朝廷に馬を献上し、当日天皇がこれを御覧になった。町家では、赤飯をたき、裃(かみしも)または羽織姿で平素恩顧を受けている人に挨拶まわりをし、その時に葉生薑(はしょうが)を持参するのが例となっていた。」
とある。八朔ともいう。
句の意味は頼んでいた田実の比もつい経って、急ぐ嫁入りも重陽となってしまった、とまる。一ヶ月以上も遅れたことになる。
八十八句目。
たのめたるたのもの比もつい立て
とらへがたしやかへるかりがね 貞徳
前句の「たのも」を田面(たのも)とし、田んぼに雁が舞い降りた比もとっくに過去のものとなり、今は春も終わりで雁も帰ってゆく。
「とらへがたし」は別に獲って食おうということではなく、月日の経つ早さの比喩のように思える。
貞徳自注に、
「田面(たのも)のかりと付る也。とらへんたのめたるはつい立てさる也。」
とある。
八十九句目。
とらへがたしやかへるかりがね
生姜手が三へぎと筆に霞せて 貞徳
貞徳自注には、
「手がはじかみならば、生姜みへぎかへるかりがねと云俗語、寄合用なり。」
とある。
前句を取り立てることの難しい借金とし、「生姜三へぎかへるかりがね」というかつてあった諺で付ける。この諺やよくわからないが借金が返ってくるまじないか。「三へぎ」と書けば借金が返ってきたのだろうか。
「生姜手」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 指がなくて、生薑のような形をした手。生薑。
※俳諧・毛吹草(1638)一「支体の難 寒帰る比やしゃうか手初蕨(はつわらび)」
② 思うようにものの書けないこと。字がへたなこと。生薑。
※俳諧・貞徳俳諧記(1663)上「生姜手が三へぎと筆に霞せて 手がはじかみならば生姜みへぎかへる」
とある。
『連歌俳諧集』の注には、「癩病で指の崩れた手。」とある。昭和四十九年の本なので「癩病」とあるが、今のハンセン病。この場合関係あるかどうかはよくわからない。
九十句目。
生姜手が三へぎと筆に霞せて
余寒の時分棗もぞなき 貞徳
貞徳自注に、
「棗しやうが寄合なり。寒気にてかがまる物也。」
とある。
前句の「生姜手」を寒さで手がかじかんだ状態とする。
棗と生姜が寄合なのは、ウィキペディアのこれが理由か。
「ナツメまたはその近縁植物の実を乾燥したものは大棗(たいそう)、種子は酸棗仁(さんそうにん)と称する生薬である(日本薬局方においては大棗がナツメの実とされ、酸棗仁がサネブトナツメの種子とされている。)。
大棗には強壮作用・鎮静作用が有るとされる。甘味があり、補性作用・降性作用がある。葛根湯、甘麦大棗湯などの漢方薬に配合されている。生姜(しょうきょう)との組み合わせで、副作用の緩和などを目的に多数の漢方方剤に配合されている。」
九十一句目。
余寒の時分棗もぞなき
薄茶さへ小壺に入てすきぬらん 貞徳
貞徳自注に、
「数寄者は天寒を好て茶会をする也。」
とある。
前句の「棗(なつめ)」を茶器の棗とする。ウィキペディアに、
「棗(なつめ)は、茶器の一種で、抹茶を入れるのに用いる木製漆塗りの蓋物容器である。植物のナツメの実に形が似ていることから、その名が付いたとされる。
現在では濃茶を入れる陶器製の茶入(濃茶器)に対して、薄茶を入れる塗物の器を薄茶器(薄器)と呼ぶが、棗がこの薄茶器の総称として用いられる場合も多い(その歴史に関しては薄茶器の項目を参照)。」
とある。
濃茶(こいちゃ)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」によれば、
「直射日光が当たらないようにした古木の若芽から作ったもの。」
で、薄茶(うすちゃ)は、
「製法は濃い茶と変わらないが、古木でないチャの葉から製するもの。また、それでたてた茶。濃い茶より抹茶の量を少なくする。」
とある。「百科事典マイペディアの解説」には、
「茶道においては薄茶点前(てまえ)をさす。これは一人に一碗ずつ薄めにあわ立ててたてるもので,飲みまわすことなく,茶道具も濃茶に対して手軽なものが用いられる。」
とある。
数寄者は寒い時期に好んでお茶会をするが、本来は木製の棗に入れる薄茶を、濃茶のように陶器製の壺に入れて、本当は茶道を知らないのに通ぶっていると笑う。
九十二句目。
薄茶さへ小壺に入てすきぬらん
こころざしせし日よりはらめる 貞徳
貞徳自注に、
「世俗に仏事をなすは茶を立る、又こころざしをすると云也。小つぼを産門にとりなす也。」
とある。
「小壺に入れてすきぬ」は要するに下ネタか。結果として孕むことになる。
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