今日は映画を見に行った。
基本的には反抗期の若者が大人になってゆく過程を描いた青春ドラマで、もちろん恋が重要な役割を果たす。
超自然的な能力を持つ少女という設定はどこか魔法少女のようで、いたいけな少女に業を背負わせるという「魔法少女まどか☆マギカ」的なテーマも感じさせる。
降り止まない雨は古典的なテーマで、『宗長日記』の享禄四年のところにある独吟の中の、
いつまでとふる五月雨のかきくらし
雲間の空もはるかにぞ見る 宗長
の句を思わせる。
それでは「哥いづれ」の巻の続き。
初裏、九句目。
滝御らんじにいづる院さま
とりあへず天神殿は手向して 貞徳
天神様といえば菅原道真公で、百人一首でも有名なあの、
朱雀院の奈良におはしまし
たりける時にたむけ山にて
よみける
このたびはぬさもとりあへず手向山
紅葉のにしき神のまにまに
菅家(古今集)
のパロディーであることは明白だ。
前句の「院」を朱雀院のこととし、滝を見に行くのに菅原道真公が手向け(餞別)を「とりあへず」送ったとする。
もちろん、元歌の意味は「幣も用意できず」という意味で、「暫定的に」の意味ではない。それに「天神殿」は大宰府で亡くなって、その後神(御霊)として祭られたときの呼び方で、生前のものではない。
貞徳自注には、
「亭子院大和龍門のたき御覧じに御幸の時、菅家このたびはぬさもとりあへずの尊詠有。」
とある。
十句目。
とりあへず天神殿は手向して
こころしづかに夢想ひらかむ 貞徳
「夢想開(むそうびらき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、l
「① 神仏による夢のお告げを皆に披露すること。また、その催し。
※御伽草子・さよひめ(室町時代小説集所収)(室町末)「御むそうひらきを、せんやとて、さんかひのちんぶつ、こくどのくゎしを、ととのへ、七日七やの、さかもりなり」
② 連歌・俳諧で、夢の中で神仏の暗示を得てできた句を発句として、連歌・連句を行なうこと。
※梅津政景日記‐元和二年(1616)一二月一九日「須田八兵へ所にて夢想開有」
とある。「手向け」には、「神仏や死者の霊に物を供える」というもう一つの意味があるので、前句を天神様に手向けしてという意味に取り成し、夢想開で連歌会を始める、とする。
なお、「太宰府市観光情報」のサイトには、黒田官兵衛のエピソードとして、
「筑前国に入った官兵衛(如水)は、福岡城内の居館が完成するまでの間、閑雅な太宰府に移り、太宰府天満宮の境内に隠棲しました。
如水が隠棲の地に太宰府を選んだ理由の一つに「連歌」がありました。一流の文化人でもあった彼は、和歌・連歌の神としても知られる天神様(菅原道真公)を崇敬し、社家らを招いて連歌会を開き、太宰府天満宮に連歌を奉納するなど、連歌興隆に力をいれました。
また、如水の天神様への信仰は深く、長年の戦乱で荒廃した天満宮の境内を造営するなど、太宰府天満宮の復興に尽力します。
生涯を戦乱に明け暮れた如水にとって、太宰府で過ごす晩年の日々は、憧れの道真公の傍らで心置きなく風雅に興ずることができた時間であったようです。」
とあり、さらに、
「慶長7年(1602年)、官兵衛(如水)が太宰府天満宮に奉納した連歌。梅の花が描かれた壮麗な懐紙に、妻光(幸円)、息子長政をはじめ、家臣、天満宮の社人とともに詠み連ねている。
如水が夢枕に天神様からいただいたといわれる『松梅や末永かれと緑立つ山より続く里はふく岡』を発句としており、この中で初めて『福岡』という地名が登場する。」
とある。正確にはこれは発句ではなく和歌の形になっていて、和歌を元に第三から付けていったのではないかと思われる。なお「松」「永」の文字があるのは偶然か。
黒田官兵衛が出家して如水となったのは文禄元年(一五九ニ)で、大宰府隠棲は関が原合戦以降の晩年のこと。慶長九年(一六〇四)に世を去っている。
これに対し、松永貞徳は元亀二年(一五七一)の生まれで豊臣秀吉に仕えていたから、ひょっとしたら面識があったかもしれない。
なお、この句には貞徳の自注がない。途中伝わるうちに欠落したか、あるいは秀吉の家臣だったという前歴に気付かれたくなかったからかもしれない。
十一句目。
こころしづかに夢想ひらかむ
唯たのめふさがりたりと目の薬 貞徳
先の「太宰府市観光情報」のサイトの如水の井戸の説明に、
「 官兵衛(如水)が太宰府で過ごしていた際、茶の湯などに使っていたといわれる井戸。如水が過ごした平穏な日々が偲ばれる。
太宰府天満宮の境内、宝物殿の傍に静かに佇んでおり、井戸の裏には黒田家隆盛の礎ともいえる『目薬の木』が植えられている。」
とある。黒田官兵衛の祖父の重隆が「玲珠膏」という目薬を売って財を築いたとの説もある。
貞徳自注には、
「夢想流の目薬と云あり。ひらくを目にとりなす也。」
とある。この夢想流の目薬と黒田家の関係はよくわからない。
前句を、夢想目薬によって開かむという意味に取り成し、塞がった目にただ目の薬をたのめ、と付ける。
十二句目。
唯たのめふさがりたりと目の薬
しめぢがはらのたつは座頭ぞ 貞徳
貞徳自注に、
「清水の観音の御詠にて付るなり。」
とある。この御詠は『連歌俳諧集』の注によれば、
なほ頼め標茅が原のさせも草
わが世の中にあらん限りは
清水観音の御歌言い伝えている(新古今集)
の歌だという。
標茅が原は栃木県の白地沼だという。させも草はヨモギのこと。清水観音が私がいる限り私を頼ってくれという歌だが、のちに頼りにならない約束の例えとして用いられるようになった。
この句でも「なお頼め」というのを信じていたらついに座頭になってしまって腹の立つ、という句になっている。
十三句目。
しめぢがはらのたつは座頭ぞ
くさびらを喰間に杖をたくられて 貞徳
「くさびら」は茸のこと。前句の「しめぢ」を茸のシメジと掛けて、茸を食っている間に大事な杖をパクられて腹が立つ、と付ける。
貞徳自注には、
「茸(くさびら)にしめぢといふあり。」
とある。
十四句目。
くさびらを喰間に杖をたくられて
枝なき椎のなりのあはれさ 貞徳
前句の「杖をたくられて」を杖にしようと折り取られての意味に取り成し、枝のなくなった椎の木はあわれだ、となる。「くさびら」もこの場合椎茸に取り成され、椎茸も食われた上につえにするために枝までパクられたとする。
椎茸の原木栽培は近代になってからで、昔は自然に生えてくる椎茸を採集していた。
貞徳自注には、
「椎茸にとりなすなり。椎の枝を杖にきられたる也。」
とある。
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