2019年8月8日木曜日

 ここはトリエンナーレでもないし公共のスペースでもないので、あえてこの問題に触れてみようと思う。
 たとえば、

 御真影焼かれた灰を踏みつけて

という上句があったとすれば、どういう下句が付くかを考えてみた。
 一つの解決法は、

   御真影焼かれた灰を踏みつけて
 被爆者達の瞳うつろに

 原爆という非常事態で、しかも日本の敗戦をほとんど決定付けた事件に結びつけるなら、焼けた御真影も理由のあるものとなるのではないかと思う。
 これを思いついたのは、ギャロというヴィジュアル系バンドの「魔王-埋葬-」という曲の「日の丸を燃やして灰になる」というフレーズが妙に印象に残っていて、多分冒頭に「光を浴びて皮膚が焼け爛れて」という原爆を暗示する歌詞のあるせいだと思ったからだ。
 俳諧師なら、燃える日の丸、燃える御真影に対して原爆は付け合いと見るのではないかと思う。

 特攻隊間抜けな日本人の墓

という上句にも、何かいい解決策がないだろうか。

   特攻隊間抜けな日本人の墓
 生延びてこそ国も残らん

 これは正攻法の付けだ。

   特攻隊間抜けな日本人の墓
 勝てば英雄負けて被害者

 あまり笑えない。まあ本人も哀れな被害者にされるとは思ってなかっただろうな。

 ハイヒール首相官房踏みつけて

 これはどうだろうか。

   ハイヒール首相官房踏みつけて
 かかとの取れた赤という色

 これは太田裕美のヒット曲「赤いハイヒール」のイメージ。石ころだらけだね。
 慰安婦像に関しては、東国原先生が「着膨れ」という見事な付け合いを見出している。二次制作が許されるなら、いろいろな人に慰安婦像の衣裳をデザインしてもらうという企画もいいのではないか。
 元々言葉に意味はない、人が喋ればそこに意味ができるというわけで、言葉も芸術作品も、置かれる文脈によってはいろいろ意味も変わってくるし、それを試し、工夫し、最善の意味を見出すのが俳諧師の仕事だったのだろう。
 言葉は切り取られれば死に、付けることによって生かされる。

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