2019年8月20日火曜日

 そろそろ秋の長雨の始まりか。「哥いづれ」の巻の続き。

 四十三句目。

   童部名ばかり人ぞ呼ぬる
 死に入や定ておとなことならん   貞徳

 死んだ時にはついつい呼びなれた幼名を連呼してしまうというのは、成人して名を変える習慣のあった時代のあるあるだったのだろうか。
 まあ、特に親にとっては大きくなってもやはり子供の頃のイメージが焼きついていて、ついつい子供の頃の呼び方をしてしまうのだろう。
 また、成人しても本名で呼ばれることは少なく、通称がいくつもあったのも確かだろう。
 芭蕉の親が生きていたなら、「金作!金作!」てなったのだろうか。
 貞徳自注には、

 「人の死たるとき呼かへす事。」

とある。
 古代には「魂よばひ」という儀式があったが、この時代にあったかどうかはよくわからない。むしろ『楚辞』の「招魂」のような中国の習慣として認識されていたのではないかと思う。
 靖国神社の前身に当たる東京招魂社の「招魂」も、多分『楚辞』に因んだものだろう。
 四十四句目。

   死に入や定ておとなことならん
 あたる礫のあいだてなさよ     貞徳

 「印地(いんじ)打ち」は二手に分かれて石礫を投げあう遊びで、死者も出る危険な遊びではあるが、かつては広く大人も子供も行っていた。
 「あいだてない」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「( 形 ) [文] ク あいだてな・し
 〔「あいだちなし」の転か。近世語〕
 ①  思慮・分別を欠いている。抑制がない。
  「 - ・しとも狂気とも笑はば笑へ/浄瑠璃・用明天皇」
 ②  物事の度が過ぎている。途方もない。
  「さてもさても、-・いことを書き入れて置かれたは/狂言記・荷文」

とある。
 印地打ちで大の大人が命を落とすなんて、何て分別のないことか、となる。
 貞徳自注には、

 「死に入ほどなるつぶては、童部はうつまじきとしる心也。」

とある。打越の童部(わらべ)から大人の印地打ちに転じる。
 四十五句目。

   あたる礫のあいだてなさよ
 昼中によその木の実をかつ物か   貞徳

 「かつ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①(勝負などに)勝つ。
 出典徒然草 一三〇
 「勝負を好む人は、かちて興あらんためなり」
 [訳] 勝負ごとを好む人は、勝っておもしろがろうというためである。
  ②相手よりすぐれている。
  ③(欲望などを)抑える。」

とある。『連歌俳諧集』の注には「獲得するの意」とあり、この方が確かに意味が通る。
 前句を石をぶつけて木の実を落とす何て無分別なとし、他所の家の木の実を勝手に取ってはいけないとする。
 この句には自注がない。
 四十六句目。

   昼中によその木の実をかつ物か
 つなげる猿にしつけすさまじ    貞徳

 前句を猿への叱責の言葉とすると展開が薄くなる。ここはやはり猿に木の実を盗ってくるようにしつける悪いやつのこととし、前句の「かつ物か」をあきれてみている様とした方がいい。
 貞徳自注には、

 「手飼の猿が木の実をかちとる体也。」

とある。
 四十七句目。

   つなげる猿にしつけすさまじ
 月影に長き刀のしらはとり     貞徳

 貞徳自注に、

 「さるつかひの長刀といふ事あり。」

とある。無用なものの例えとされていた。
 猿曳きの持っている長刀は何の役に立つのだろうかといろいろ考えているうちに、あれを使って猿を脅して芸をさせているのではと思ったのだろう。それだけでは面白くないので、敵もさるものでその刀を白刃取りすれば面白いかなと、ややシュールなネタになっている。
 穢多は帯刀を許される場合もあったことから、猿曳きも例外的に長刀を持つことが許されていたのだろう。
 四十八句目。

   月影に長き刀のしらはとり
 夜やいづなの法のおこなひ     貞徳

 貞徳自注に、

 「井綱の法、兵者のおこなふよし。」

とある。
 「いづなの法」はコトバンクの「いづなつかい【飯綱使い】」の項の「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「飯縄使いとも書く。イヅナ(エヅナ)と呼ばれる霊的な小動物を駆使して託宣や占いなどさまざまな法術を行う東日本で活動した民間の宗教者。飯綱使いの法術を〈飯綱の法〉といい,近世では邪術の類とみなされていた。飯綱使いの多くは,修験系の男の宗教者であったが,いたこなどの巫女もこれを用いることがあったらしい。イヅナの語は明らかでないが,信州の飯縄(綱)(いいづな)山はこれと関係があるのではないかと考えられている。」

とある。
 飯綱使いといい白刃取りといい、想像上の妖術使いのバトルを思わせる。
 四十九句目。

   夜やいづなの法のおこなひ
 からげたる燈心をときてともしけり 貞徳

 貞徳自注に、

 「井をとうしんと引なす。からぐるにてつなはつくべし。」

とある。
 井綱を藺草の綱と引き成し、藺草の燈心をいくつも束ねて綱のようになってたものを解いて火を灯すとする。
 五十句目。

   からげたる燈心をときてともしけり
 くらきにいるる物の本蔵      貞徳

 貞徳自注に、

 「からげたるといふを書籍にとりなす。」

とある。「からげる」は紐で縛ることで、本の紐で綴じることも「からげる」と言ったか。

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