2017年12月7日木曜日

 左翼のことで最近「パヨク」と言う言葉がよく用いられるが、これを「パーな左翼」のことだと誤解している人がいる。確かにそういうニュアンスで使われたりもするが、語源的には正しくない。
 「パヨク」は正確には2015年に起きたぱよぱよちーん事件から来たもので、この事件についてはぐぐれば詳しい説明が出てくるから省くとして、つまりは久保田直己氏のメールに使われた謎の言葉「ぱよぱよちーん」がネット上での流行語となり、やがて「ぱよぱよちーん」と「左翼」とが結び付けられて「パヨク」という言葉ができた。それ以前には「ブサヨ」という言葉があったが、今では死語になっている。
 鈴呂屋書庫(http://suzuroyasyoko.jimdo.com/)の日記の方にも書いたが、国家主義も社会主義も既に時代遅れなもので、これからは急進的資本主義と多元主義が軸になって世界は動いてゆくのではないかと思う。
 AIとロボットの発達によって、次第に労働者そのものが不要なものとなり、やがては皆が資本家になり労働から解放される素晴らしい時代が来るのではないかと期待している。
 いずれにせよかつての社会主義者が思い描いたような牧歌的な世界とはまた違った、日々ベーシックインカムで遊んで暮らしながら、AIでは思いつかないような面白い発想を競い、それを即ロボットで生産販売し世界に広め一攫千金を目指す、そんな起業家の時代が来るのではないかと思う。

 それはともかくとして「冬木だち」の巻の続き。
 十一句目。

   弭たしむのとの浦人
 女狐の深き恨みを見返りて     蕪村

 「女狐」というと今や世界的に知られるようになったアイドルグループ、ベビーメタルに「メギツネ」(作詞:MK-METAL・NORiMETAL)という曲があるが、そこではキツネとメギツネは区別されている。
 古代より乙女の純粋な夢は様々な現実の中で汚され犯され、恨みの歴史を重ねてきた。メギツネはそんな幾千年の歴史を背負って、涙も見せずに今に息づいている。
 能登の浦人もそんなメギツネの恨みのこもった目にはっと我に帰り、これまでの殺生の罪深さと人生の悲しさに何かを感じ入ったことだろう。中世連歌の、

   罪もむくいもさもあらばあれ
 月残る狩場の雪の朝ぼらけ     救済

や、蕉門の、

 あけぼのや白魚白きこと一寸    芭蕉

に通じるものがあるが、この句は単なる殺生の罪だけでなく、恋の罪も含ませていることで秀逸と言えよう。
 句は、「弭たしむのとの浦人を女狐の深き恨みを見返りて」と後ろ付けになっていて、「て」止めの後ろ付けは古くから容認されている。これを倒置として見れば、「女狐の深き恨みを見返りて、弭たしむのとの浦人(を)」となる。

 十二句目。

   女狐の深き恨みを見返りて
 寝がほにかかる鬢のふくだみ    几董

 「ふくだみ」は「ふくらみ」から派生した言葉だが、毛のそばだったふくらみを意味する。
 前句の「見返りて」を過去をふり返るという意味に取り成したか。いつも恨めしそうな目で見ているメギツネ(に喩えられる女性)も眠れば無邪気な顔になり、鬢のふくだみが顔にかかっているのもアホ毛のようでそそるものがある。
 「鬢」は耳の上あたりの毛をいい、島田髷ではこの鬢の毛を丸く膨らます。男の月代では鬢付け油でカチッと固める。

 十三句目。

   寝がほにかかる鬢のふくだみ
 いとをしと代りてうたをよみぬらん 蕪村

 「いとをし」は「いとほし」であろう。元は「厭(いと)う」から来た言葉で、見るに堪えないという意味が転じて可哀相なという意味になった。ただ、今日の「やばい」がそうであるように、あるいはかつての「いみじ」が忌むべきから凄く良いという意味に転じたように、否定的な言葉の肯定的な言葉への転用はしばしば起こる。「すごい」もそうだった。
 「かはゆし」も気の毒から今のような可愛いに変化しているように、「いとほし」も今の愛しいの意味に変わっていった。
 この句ではまだ変わる前の「可哀相」の意味で、鬢の解けた娘の寝顔を見て、そこからさんざん泣き明かした跡を読み取り、それを不憫に思った誰かが替って歌を詠んで男の元に届けたのだろうか、と付ける。うまくいけばいいが、かえってこじらせて小さな親切大きなお世話なんてことにもなりかねない。
 恋の句は蕉門の場合、第三者的な醒めた視点から、時に茶化されたりしているが、恋の情をこういう風にストレートに詠む風は、蕉風ではなく大阪談林から受け継いだものだろう。

 十四句目。

   いとをしと代りてうたをよみぬらん
 出船つれなや追風(おひて)吹秋 几董

 「いとをし」を恋の情から別離の情へと転じる。「追風(おひて)吹秋」は「秋の追風吹く」の倒置でこの「秋」は放り込みではない。「秋の追風吹く出船はつれなや」という意味になる。連歌のような句だ。

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