今年のクリスマスは連休で、二十三日には二子玉川に買い物に出たが、たまたまGOING UNDER GROUNDの無料のライブがあった。開始前には公開リハもあった。得した気分だ。
二十四日は家から王禅寺を経て柿生までの散歩コースを歩いた。柿生の菓子工房 la plaquemineでケーキを買って帰った。
そういうわけでなかなか「詩あきんど」の巻が進まないが、とりあえず一句進む。
十三句目。
鼾名にたつと云題を責けり
ほととぎす怨の霊と啼かへり 芭蕉
ウィキペディアにホトトギスの伝説が載っている。それによると、
「長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスのくちばしが赤いのはそのためだ、と言われるようになった。」
だそうだ。ホトトギスが杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥と表記される理由はこれでよくわかる。
ところで、『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注には別の伝説が記されている。
「ほととぎすに『郭公』の字を当てるのは、戦いに敗れて死んだ郭の国の王の怨霊がほととぎすになったという、中国伝説に基づく。よって一名怨鳥ともいう。」
ただ、ホトトギスを郭公と表記するのは、カッコウと混同されたからだとも言う。
「啼かへり」というのは繰り返し啼くことで、古来和歌ではホトトギスは一声を聞くために夜を徹するものとされていて、その一声が貴重だということから「鳴かぬなら‥‥ほととぎす」なんて言われるようにもなっている。
渡り鳥なので渡ってきた最初の一声を聞くのが重要だったのだろう。渡ってきてしまうと後は始終鳴いていて別にありがたいものではない。
ホトトギスは怨鳥とも言うから我こそは「怨みの霊」だとしきりに鳴いては、「鼾名にたつ」という題で歌を詠むように責め立てる。何だかよくわからない付けだが、こういうシュールさも天和調の一つの特徴なのだろう。
『俳諧次韻』の「鷺の足」の巻五十五句目に、
しばらく風の松におかしき
夢に来て鼾を語る郭公 其角
の句があり、これはホトトギスの声が待てずに鼾をかいて寝てしまうと、夢の中に郭公が出てきて、「あれまあ、こんなに鼾かいて寝ちゃって」などと言ったのだろう。外で鳴いている郭公の声が夢の中でアレンジされてそんな言葉になったのか。この句を思い出しての楽屋落ちだったのかもしれない。其角に「鼾の句を詠め」とホトトギスが繰り返し啼いたのかもしれない。
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