「詩あきんど」の巻の続き。
四句目。
干鈍き夷に関をゆるすらん
三線○人の鬼を泣しむ 其角
三線はここでは「さんせん」と読む。沖縄では「さんしん」という。
ウィキペディアによれば、三線は福建省で誕生した三弦が十五世紀の琉球で改良され、十六世紀に日本に伝わったという。「しゃみせん」は「さんせん」の訛ったもの。
芭蕉の時代には主に関西で義太夫や上方歌舞伎などで用いられていた。江戸時代中期になると爆発的に流行し、日本を代表する楽器になる。
前句の「干鈍き夷」を琉球の人に取り成したか。三線の音色に思わず鬼のような関守も涙し、関所の通行を許す。この場合「干鈍き」は平和的なという意味に取るべきであろう。
古今集の仮名序にも「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」とある。詩歌連俳や音楽には非暴力にして世界を動かす力がある。それは風流の理想でもある。
五句目。
三線○人の鬼を泣しむ
月は袖こほろぎ睡る膝のうへに 其角
「こほろぎ」は九月二十八日の鈴呂屋俳話で、「つまり、キリギリス→コオロギ、コオロギ→カマドウマとなる。ならばカマドウマ→キリギリスになるのかというとそうではなく、カマドウマ=コオロギになる。」と述べたとおり、カマドウマのこと。
前句の「泣しむ」を受けて、月は袖を濡らし、カマドウマは膝の上に眠る、つまりカマドウマがじっとしてられるように体は微動だにしない状態ですすり泣く情景を付ける。
六句目。
月は袖こほろぎ睡る膝のうへに
鴫(しぎ)の羽しばる夜深き也 芭蕉
「鴫の羽しばる」とは一体何のことかと謎かけるような句だ。古今集、恋五の
暁のしぎの羽がきももはがき
君が来ぬ夜は我ぞ数かく
よみ人知らず
を踏まえたもので、鴫の羽がきは眠りを妨げ、儚い夢を破るものとされてきた。『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によれば、『古今集正義』に「嘴を泥土に突きこみて物する音、よもすがらぎしぎしと聞ふる物なりと云り。さらばもし、これを羽かく音とききて、古へ羽がきといへりしにはあらずや」とあり、その音がうるさいので鴫の羽を縛るのだという。
まあ、実際に羽を縛るなんてことはありそうにもない。こういうむしろシュールとでもいえる展開は、『俳諧次韻』で確立された、談林調から脱した最初の蕉風の姿といえよう。
初裏、七句目。
鴫の羽しばる夜深き也
恥しらぬ僧を笑ふか草薄 芭蕉
前句の「鴫の羽しばる」を食用に捕らえた鴫を動けないように縛っておくこととする。殺生の罪を恥とも思わない破戒僧を、薄が笑ってこっちへ来いと招いている。招かれる先には当然地獄があるに違いない。
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