今年の漢字は「北」だというがあの国以外は何も思い浮かばない。まだ「雨」の方が良かったのでは。
まあどうでもいいことだし、とりあえず「冬木だち」の巻の続き。
二十七句目。
三ツに畳んで投ふるさむしろ
西国の手形うけ取小日のくれ 几董
筵を片付けるのを日暮れの閉店とする。遠方からの手形の処理も、店じまいした後に行われるのであろう。以前何かのテレビ番組で銀行が営業を終えた後、女子行員の「だいてください」の声が飛び交う様子があったが、「代手(代金取立て手形)」の処理の場面。
二十八句目
西国の手形うけ取小日のくれ
貧しき葬の足ばやに行 蕪村
前句の「西国の手形」を捨てて「小日のくれ」で付ける。「西国の手形うけ取」は単なる「小日のくれ」の形容というか枕詞のように処理される。
貧しい葬式は夜になってまで飲み食いしたりしないから日が暮れる頃になると足早に終わらせようとする。
二十九句目。
貧しき葬の足ばやに行
片側は野川流るる秋の風 几董
遠まわしな言い方だが、要するに河原者の住むあたり。
三十句目。
片側は野川流るる秋の風
月の夜ごろの遠きいなづま 蕪村
「いなづま」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』にはこうある。
「[和漢三才図会]秋の夜晴て電あるは常也。俗伝ていふ、此時稲実る故に、稲妻、稲交(いなつるみ)の名あり。」
「常也」と言うが、実際には見たことがない。夕立でイナズマが走るのはわかるが、晴れた夜のイナズマは、昔は多かったのだろうか。
ネットで調べてゆくと、「幕電」という言葉に行き当たった。コトバンクの「世界大百科事典」の引用には、
「背の低い冬の雷雲では,上部の正電荷と地表との間で放電を起こす落雷もしばしば発生する。雲放電の場合は厚い雲にさえぎられて放電路を直視できない場合が多く,夜間では雲全体が明るく輝くのが見られ,これを幕電という。落雷の場合は雲底下に現れる放電路を直視することができる。」
とある。
句の方は、前句を単に背景として月夜の稲妻を付ける。
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