2017年12月8日金曜日

 今年はやはり暖かいのか、富士山の雪が大分解けていて雪は中腹くらいまであるものの、黒い地肌が覗いて段だら模様になっている。
 さすがに紅葉は色あせ始めて冬木立になりはじめている。
 そういうわけで「冬木だち」の巻の続き。

 十五句目。

   出船つれなや追風吹秋
 月落て気比の山もと露暗き    蕪村

 気比は敦賀の気比松原(けひのまつばら)のある所で、気比神宮もある。気比の浜は白砂青松で知られている。芭蕉も『奥の細道』の旅で、気比神宮に参拝している。

 「けいの明神に夜参(やさん)す。仲哀(ちゅうあい)天皇の御廟(ごべう)也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷(しけ)るがごとし。」(奥の細道)

 そしてここで、

 月清し遊行のもてる砂の上    芭蕉

の句を詠む。
 月があれば夜露が月にきらきらと輝き、気比の浜の白砂とあいまって幻想的な風景になるが、残念ながらまだ満月に遠い月はすぐに沈んでしまい露も闇に閉ざされる。「船出」と「月の入り」のイメージを重ねている。「出船追風」の無情に「つきの沈んだ闇」を付けるのは、響き付けと言ってもいいかもしれない。
 『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注には、「順徳院・日野資朝をはじめ佐渡への流人は多くここから送られた」とある。「出船」と「気比」が付け合いだとすれば、古典的な「物付け」ということになる。

 十六句目。

   月落て気比の山もと露暗き
 鹿の来て臥す我草の戸に     几董

 「山もと」に草庵は相変わらずベタな展開だ。鹿といえば、

 わが庵は都のたつみしかぞすむ
     世をうぢ山と人はいふなり
                喜撰法師

か。

 十七句目。

   鹿の来て臥す我草の戸に
 文机(ふづくゑ)の花打払ふ維摩経 蕪村

 侘び人を僧ということにして釈教に展開するが、花の散る草庵は吉野の西行法師の俤か。

 十八句目。

   文机の花打払ふ維摩経
 頭痛をしのぶ遅き日の影     几董

 まあ、維摩経なんて読むと頭は痛くなるわな。なかなかひょうきんな展開で、こういう句があるとほっとする。いやいや修行させられている坊主の姿が浮かんでくる。筆を鼻の下に挟んでたりして。

0 件のコメント:

コメントを投稿