今日の明け方、仕事に向う時に西の空に大きな丸い月が見えた。あれがスーパームーンというやつか。日本語にすると「超月」になるのかな。聞いたことのない言葉だが。「ちょーつきじゃん」と言うと何か違う感じがする。日本語って面白い。
旧暦十月、神無月で冬だから寒月になる。凍月(いてづき)というほどには寒くない。凍月はいてつくからいてづきなのか。英語だとフリーズムーン、尾崎かな。
冬の月というと真っ先に思い浮かぶのは蕉門ではなく、
冬木だち月骨髄に入夜哉 几董
だったりして、和語で平たく言えば「骨身に凍みる」ということなのだが、それを漢文風に気負って「月骨髄に入」という所が、明和天明の頃の中国かぶれの粋だったのだろう。とはいえ冬木立を我骨身に見立てて、冬木立の枝の突き刺さる月を「月骨髄に」というあたりはさすがに上手い。
惟然撰の『二葉集』の超軽みの句に、
爰(ここ)へ出る筈かよ月の冬木立 淡齋
の句がある。葉が茂ってるときは月が見えるような場所ではなかったのだが、という意味か。
安永五年刊の『続明烏』のこの句は、安永九年の『桃李(ももすもも)』で歌仙の形を取って収められている。
以前、「牡丹散て」の巻を読んだ時にも触れたが、この歌仙は興行によるものではなく手紙のやり取りによって作られたもので、即興性のない、熟考による歌仙だった。だから、その場の乗りで笑いを誘うものではなく、むしろ近代的な意味でのコラボレート作品を作ったようなもので、現代連句に近い。
蕪村の脇は、
冬木だち月骨髄に入夜哉
此句老杜が寒き腸(はらわた) 蕪村
だが、ちょっと待った、これって、『俳諧次韻』の、
鷺の足雉脛長く継添へて
這_句(このく)以荘-子(そうじをもって)可見矣(みつべし) 其角
に似てないか。「寒き腸」も、
櫓の声波を打つて腸氷る夜や涙 芭蕉
ではないか。「断腸の思い」というのを腸を断つとせずに腸が氷るとしたところに新味があったのだが、それを「寒き腸」にしてもかえって「氷る」よりも弱い言い回しになるだけだ。
蕪村さんは何だか後世に残る歌仙を作ろうと気負いすぎて、企画倒れになってしまったのではないか。其角の句のパクリだけに。
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