今年一年、たくさん俳諧を読んだので、経験値をつんで少しはレベルアップしたかな。あまり実感はないが。一応振り返っておくと、
一月八日から一月十五日まで「雪の松」の巻。
一月十八日から一月二十六日まで「空豆の花」の巻(再読)。
一月三十日から二月十六日まで「梅若菜」の巻。
四月十二日から五月十六日まで「木のもとに」の巻(三種)。
五月十七日から五月二十五日まで「牡丹散て」の巻。
六月十六日から六月二十六日まで「紫陽花や」の巻。
七月八日から七月十一日まで「此さきは」の巻。
七月十五日から八月三日まで「柳小折」の巻。
八月三十一日から九月七日まで「立出て」の巻。
九月十二日から九月二十三日まで「蓮の実に」の巻。
十月二十三日から十月三十日まで「猿蓑に」の巻。
十一月九日から十一月十四日まで「この道や」の巻。
十二月四日から十二月十四日まで「冬木だち」の巻。
この外にも途中までのものとか、表六句とかがあった。
さて、新暦では今年も残す所あと二週間。ラストを飾るのはやはりこれがいいか。「詩あきんど」の巻。
『虚栗』に収められたこの一巻は、『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』(一九七四、小学館)にも註釈と解説が載っているし、『芭蕉の俳諧』(暉峻康隆、一九八一、中公新書)にも解説がある。
この歌仙は芭蕉と其角の両吟で、天和二年の師走、芭蕉が八百屋お七の大火で焼け出される直前と思われる。
発句。
酒債尋常住処有
人生七十古来稀
詩あきんど年を貪ル酒債哉 其角
前書きの漢詩は杜甫の「曲江詩」
曲江 杜甫
朝囘日日典春衣 毎日江頭盡醉歸
酒債尋常行處有 人生七十古來稀
穿花蛺蝶深深見 點水蜻蜓款款飛
傳語風光共流轉 暫時相賞莫相違
朝廷を追われ春の着物を質屋に入れて送る日々
毎日曲江の畔で酔っぱらって帰るだけだ
行くところはどこも酒の付けがあって当たり前
どうせ人生七十過ぎてまで生きることは稀だ
花の間を舞うアゲハはこそこそしてるし
水を求めるトンボはわが道を行くかのようだ
伝えて言う、この眺望よ共に流れてゆく定めなら
しばらくは違いに目をつぶりお互いを認め合おう
からの引用だ。「古稀」という言葉の語源と言われている。
後半は比喩で陰謀術策をめぐらしている同僚や、周りに無関心な上司のことだろう。そして、どうせみんな最後は年老いて死んでくだけじゃないか、と語りかける。
どうせいつかは死ぬんだから借金など気にせずに酒でも飲んで仲良くやろうじゃないか、そう言いながら「詩あきんど」つまり詩で生計を立てる者はうだうだ酒飲んでは時間を浪費し、付けが溜まってゆく。
其角の発句は俳諧師という職業をやや自虐的にそう語っている。「年を貪ル」は今年一年を貪ってきたという意味で、歳暮の句となる。
それに対し、芭蕉はこう答える。
脇。
詩あきんど年を貪ル酒債哉
冬-湖日暮て駕馬鯉(うまにこひのする) 芭蕉
「冬-湖」は前書きを受けて曲江のことであろう。一年を酒飲んで過ごした前句の詩あきんどは、曲江の湖の畔で釣りをして過ごし、鯉を馬に乗せて帰ると和す。
鯉は龍になるとも言われる目出度い魚で、これを売って一年の酒債を返しなさいということか。
まあ其角さんの場合、結局最後は鯉屋の旦那(杉風)が何とかしてくれるという楽屋落ちの意味があったのかもしれない。
第三。
冬-湖日暮て駕馬鯉
干(ほこ)鈍き夷(えびす)に関をゆるすらん 芭蕉
関守は日がな湖で釣りに明け暮れているから、いかにも弱そうな異民族でもやすやすと通り抜けてしまうにちがいない。
まあ、本格的に攻めてきたならともかく、多少の異民族の国境を越えて出稼ぎに来るくらい良いではないか、ということか。中国は昔から国境に「万里の長城」という壁を築いてきたが。
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