「詩あきんど」の巻の続き。
二十三句目。
黒鯛くろしおとく女が乳
枯藻髪栄螺の角を巻折らん 其角
「枯藻髪(かれもがみ)」というのは造語か。要するに脱色した髪の毛のこと。
前句の黒鯛を乳首の色ではなく本物の黒鯛とし、「おとく女が乳」を海女さんのことと取り成す。始終海に潜っている彼女は塩と紫外線で髪の毛が痛み、脱色して茶髪になる。
サーファーの髪が脱色するのも同じ理由だし、髪を染められないJCやJKは、昔はビールで髪を洗うといいなんていわれたこともあったが、塩で髪を洗うという方法は今でも行われているようだ。ただ、髪を傷めるだけでお勧めはできない。
塩水で塗れてべたべたした髪の毛は栄螺(さざえ)の角に巻きついて折ってしまうのではないか、とややおどろおどろしく描く。
二十四句目。
枯藻髪栄螺の角を巻折らん
魔-神を使トス荒海の崎 芭蕉
ひところのギャルメイクが「山姥」と言われたが、発想は昔からあまり変わらない。茶髪の海女さんから海の妖怪のようなものを想像し、魔神をも使役する。今でいえば召喚魔法か。
二十五句目。
魔-神を使トス荒海の崎
鉄(くろがね)の弓取猛き世に出よ 其角
これは百合若大臣ネタか。ウィキペディアによれば、
「百合若大臣は、蒙古襲来に対する討伐軍の大将に任命され、神託により持たされた鉄弓をふるい、遠征でみごとに勝利を果たすが、部下によって孤島に置き去りにされる。しかし鷹の緑丸によって生存が確認され、妻が宇佐神宮に祈願すると帰郷が叶い、裏切り者を成敗する、という内容である。」
だという。
魔人を召喚する恐ろしい魔導師を倒すには、勇者様が必要だ。武器は弓。それも攻撃力の高い鉄弓のスキルを持つ勇者様がそれにふさわしい。
二十六句目。
鉄の弓取猛き世に出よ
虎懐に妊るあかつき 芭蕉
摩耶夫人は六本の黄金の牙を持つ白いゾウが右わき腹に入る夢を見てお釈迦様を御懐妊したという。
百合若大臣のような勇者誕生には、母親が虎が懐に入る夢を見たという逸話があってもいいではないか、というところか。
二十七句目。
虎懐に妊るあかつき
山寒く四-睡の床をふくあらし 其角
伝統絵画の画題に「四睡図」というのがある。豊干禅師、寒山、拾得、虎が一緒に寝ている様子を描くもので、悟ったもの、死を恐れぬものには虎が近くにいても恐がることないため共存できるというもの。
「山寒く」は「寒山」の名を隠しているし、前句の「虎懐に妊る」は夢ではなく本当に虎が懐で眠っているという意味に取り成される。
二十八句目。
山寒く四-睡の床をふくあらし
うづみ火消て指の灯(ともしび) 芭蕉
「指の灯」は『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注には、「掌(たなごころ)に油を入れ、指に燈心をつかねて火をともす仏教の苦行。」とある。
芭蕉と同時代に了翁道覚という僧がいて、明から来た隠元和尚にも仕えた。
ウィキペディアによれば、
「寛文2年(1662年)にはついに「愛欲の源」であり学道の妨げであるとしてカミソリで自らの男根を断った(羅切)。梵網経の持戒を保ち、日課として十万八千仏の礼拝行を100日間続けた時のことであった。同年、その苦しみのため高泉性敦禅師にともなわれて有馬温泉(兵庫県神戸市)で療養している。摂津の勝尾寺では、左手の小指を砕き燃灯する燃指行を行い、観音菩薩に祈願している。
翌寛文3年(1663年)には長谷寺(奈良県桜井市)、伊勢神宮(三重県伊勢市)、多賀大社(滋賀県多賀町)にも祈願している。さらに同年、了翁は京都清水寺に参籠中、「指灯」の難行を行った。それは、左手の指を砕いて油布で覆い、それを堂の格子に結びつけて火をつけ、右手には線香を持って般若心経21巻を読誦するという荒行であった。このとき了翁34歳、左手はこの荒行によって焼き切られてしまった。」
と、実際に「指の灯」を実践している。
寛文11年(1671年)には上野寛永寺に勧学寮を建立し、この歌仙が巻かれた頃も寛永寺にいた。ウィキペディアによれば、
「天和2年(1682年)には、天和の大火いわゆる「八百屋お七の火事」により、買い集めていた書籍14,000巻を失ったが、それでもなお被災者に青銅1,100余枚の私財を分け与え、棄て児数十名を養い、1,000両で薬店を再建し、1,200両で勧学寮を完工させ、台風で倒壊した日蓮宗の法恩寺を再建するなど自ら救済活動に奔走した。」
芭蕉も当然この了翁の事は知っていただろう。びーちくろいくのシモネタもあればこういう偉い坊さんの話も交える。この何でもありの感じが、まだ談林の延長にあった天和期の蕉風だったのだろう。
『野ざらし紀行』の伊勢のところで「僧に似て塵有」と自嘲して言うのも、同時代のこういうお坊さんにはとても及ばないという気持ちがあったのではないかと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿