2017年12月30日土曜日

 今日は大山街道を鷺沼から青葉台まで歩いた。いい運動になった。
 それでは「詩あきんど」の巻の続き。

 二十九句目。

   うづみ火消て指の灯
 下司后朝をねたみ月を閉     其角

 「下司」は本来は中世の荘園や公領で実務を行う下級職人のことだという。上司(うえつかさ)に対しての下司(したづかさ)だった。それが下種、下衆と書く(げす)へと派生したのか、それとも別のものだったのが混同されたのかはよくわからない。
 ゲスといえばゲスの極み乙女というバンドのボーカル、川谷絵音のベッキーとの不倫報道で、「ゲス不倫」という言葉がしばらく流行した。
 身分の低い女性を后(きさき)に迎えたせいか、朝のきぬきぬの時に、さすがに鶏をキツネに食わすぞとは言わないまでも、戸を閉ざして月を見せないようにして男を引きとめようとする。月明かりがあるとまだ暗いうちに帰ってしまうからだ。火鉢の埋み火も消えて爪の垢を燃やす。
 貞門の松江重頼選の『毛吹草』の諺の部に「爪に火をともす」というのがあるという。今日でもケチの極みを意味する慣用句として用いられている。本当に爪の垢で火が灯るのかどうかはよくわからない。昔は手をあまり洗わなかったから、あちこち掻き毟ったりすると体の油分が爪に溜まったりしたのかもしれない。

 三十句目。

   下司后朝をねたみ月を閉
 西瓜を綾に包ムあやにく     其角

 西瓜はアフリカの乾燥地帯が原産で、室町時代には日本に入ってきたという。中国語のシークワが日本語のスイカとなったという。日本では昔から庶民の食べ物で、上流の人は食べなかった。
 子供の頃読んだ漫画でも主人公の庶民の少年がお金持ちの坊ちゃんを家に呼んでスイカをふるまうが、坊ちゃんは家じゃメロンを食べるとスイカを馬鹿にする場面があった。
 スイカの入れ物というと、昔から紐を編んだスイカ網が用いられている。ここではそんな身分の低い人の食い物であるスイカがあるのを隠すために、入子菱模様の綾布で覆っていたのだろう。模様はスイカ網を髣髴させる。
 スイカがばれないように月を閉じ、綾布をかける。そんなにスイカって恥ずかしかったのか。ものが綾布だけに「あやにく(あや、憎しの略)」。
 形容詞の活用語尾を略して語幹だけで「こわっ」「はやっ」「ちかっ」という言い方は平安時代からあった。源氏物語では光源氏が「あなかま!」という場面がある。「あな、かしまし」の略だが、「かしまっ」が更に略されて「かまっ」になってしまったのだろう。

 二裏、三十一句目。

   西瓜を綾に包ムあやにく
 哀いかに宮城野のぼた吹凋(ふきしほ)るらん 芭蕉

 本歌は、

 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ
    秋風立ちぬ宮城野の原
                西行法師(新古今集)

 宮城野は萩の名所で、

 宮城野のもとあらの小萩露を重み
     風を待つごと君をこそ待て
                よみ人しらず(古今集)

 白露は置きにけらしな宮城野の
    もとあらの小萩末たわむまで
                祝部允仲(新古今和歌集)

の歌がある。
 『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によると「ぼた」は萩の俚称だという。それだと、「お萩」のことを「ぼたもち」と言うのも、一般的には「牡丹餅」と表記されているが、この俚称に起源があったのかもしれない。
 西行法師のように颯爽と宮城野の萩の歌を詠んで見せたが、つい萩のことを「ぼた」と言ってしまい、身分がばれるというネタだろう。それをスイカを綾で隠すようなものだ、あやにく」とつなげる。

 三十二句目。

   哀いかに宮城野のぼた吹凋(しほ)るらん
 みちのくの夷(えぞ)しらぬ石臼 其角

 「夷(えぞ)」が第三の「夷(えびす)」と被っているのは気になる。やや遠輪廻気味の句だ。
 石臼は製粉作業に用いる回転式の臼のことで、東北の方ではあまりなじみがなかったのだろう。仙台名物で伊達政宗が発明したという伝承のある「ずんだ餅」も太刀で豆を刻んだという。
 石臼のおかげで日本では古くから団子が作られていたが、石臼の普及してないみちのくでは昔ながらのぼた餅やずんだ餅が主流だったということか。

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