2017年12月5日火曜日

 そういうわけで、「冬木だち」の巻を読んでいこうと思う。今回も「牡丹散て」の巻のときと同様、小学館の『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』を参考にする。
 「冬木だち」の巻、第三。

   此句老杜が寒き腸
 五里に一舎かしこき使者を労て   蕪村

 上五を「五里に一舎」と字余りにするあたりは天和期の蕉門を意識したのか。ただ芭蕉の「櫓の声波を打つて」「芭蕉野分して」「夜着は重し」のような力強いフレーズでないのは残念だ。
 内容は明和天明期に流行した漢文趣味か、五里行く毎に宿を設けて使者を労い、漢詩を詠んでは「此句は老杜が寒き腸です」と言って捧げる。
 蕪村は「右二句共に尋常の句法にてはなく」と書いているらしいが、これは俳諧の常の体ではないという意味もあったのだろう。『去来抄』に「基(もとゐ)より出ると不出(いでざる)風」という議論があったが、確かに次韻や虚栗の体は基(もとゐ)となる和歌の体ではなく「不出(いでざる)風」には違いない。

 四句目。

   五里に一舎かしこき使者を労て
 茶にうとからぬあさら井の水    几董

 使者への労いはここでは漢詩ではなく茶の湯になる。『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によれば、「あさら井」は「浅ら井」で浅い井戸。
 詩を茶に変えただけで展開に乏しい。

 五句目

   茶にうとからぬあさら井の水
 すみれ啄(はむ)雀の親に物くれん 几董

 前句の茶に疎からぬ人の位で付けたのだろう。
 「すみれ啄(はむ)」は実際にはスミレの葉についた虫を啄ばんでいるのだろう。虫を取って子雀に運ぶ雀の親に餌をやっているのだろうか。いかにも慈悲深い人という感じだが、蕉門が描き出した庶民のリアルな世界には程遠い。
 蕪村より更に後の時代になると、

 雀の子そこのけそこのけお馬が通る 一茶

の句があるが、この句は身分社会を風刺したような十分リアリティーがある。蕪村の俳諧は庶民の鬱屈したエネルギーをあえて嫌って、絵空事の理想の世界に遊ぶのを特徴としている。芭蕉が「帰俗」なのに対して蕪村が「離俗」だと言われるのはそういうところだ。

 六句目。

   すみれ啄雀の親に物くれん
 春なつかしく畳帋(たたう)とり出て 蕪村

 つまりこういう調子になる。『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によれば、畳帋はたとう紙のことで懐紙とも言うらしいが、別に花粉症で花を鴨意図して紙を取り出したのではない。前句の心やさしい人は和歌をたしなむ佳人だという単純な展開。

0 件のコメント:

コメントを投稿