そういうわけで、「冬木だち」の巻を読んでいこうと思う。今回も「牡丹散て」の巻のときと同様、小学館の『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』を参考にする。
「冬木だち」の巻、第三。
此句老杜が寒き腸
五里に一舎かしこき使者を労て 蕪村
上五を「五里に一舎」と字余りにするあたりは天和期の蕉門を意識したのか。ただ芭蕉の「櫓の声波を打つて」「芭蕉野分して」「夜着は重し」のような力強いフレーズでないのは残念だ。
内容は明和天明期に流行した漢文趣味か、五里行く毎に宿を設けて使者を労い、漢詩を詠んでは「此句は老杜が寒き腸です」と言って捧げる。
蕪村は「右二句共に尋常の句法にてはなく」と書いているらしいが、これは俳諧の常の体ではないという意味もあったのだろう。『去来抄』に「基(もとゐ)より出ると不出(いでざる)風」という議論があったが、確かに次韻や虚栗の体は基(もとゐ)となる和歌の体ではなく「不出(いでざる)風」には違いない。
四句目。
五里に一舎かしこき使者を労て
茶にうとからぬあさら井の水 几董
使者への労いはここでは漢詩ではなく茶の湯になる。『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によれば、「あさら井」は「浅ら井」で浅い井戸。
詩を茶に変えただけで展開に乏しい。
五句目
茶にうとからぬあさら井の水
すみれ啄(はむ)雀の親に物くれん 几董
前句の茶に疎からぬ人の位で付けたのだろう。
「すみれ啄(はむ)」は実際にはスミレの葉についた虫を啄ばんでいるのだろう。虫を取って子雀に運ぶ雀の親に餌をやっているのだろうか。いかにも慈悲深い人という感じだが、蕉門が描き出した庶民のリアルな世界には程遠い。
蕪村より更に後の時代になると、
雀の子そこのけそこのけお馬が通る 一茶
の句があるが、この句は身分社会を風刺したような十分リアリティーがある。蕪村の俳諧は庶民の鬱屈したエネルギーをあえて嫌って、絵空事の理想の世界に遊ぶのを特徴としている。芭蕉が「帰俗」なのに対して蕪村が「離俗」だと言われるのはそういうところだ。
六句目。
すみれ啄雀の親に物くれん
春なつかしく畳帋(たたう)とり出て 蕪村
つまりこういう調子になる。『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によれば、畳帋はたとう紙のことで懐紙とも言うらしいが、別に花粉症で花を鴨意図して紙を取り出したのではない。前句の心やさしい人は和歌をたしなむ佳人だという単純な展開。
0 件のコメント:
コメントを投稿