2017年12月6日水曜日

 社会主義は現実には不可能な何処にもない国、不在郷(ユートピア)を求める。そういう意味では浮世離れした蕪村の俳諧は社会主義者には受けがいいのかもしれない。
 桃源郷の甘い夢は疲れた心にノスタルジックな癒しと安らぎを与えてくれるが、それはこの世のものではない。死後の世界の安らぎであろう。

 さて、「冬木だち」の巻は初裏に入る。
 七句目。

   春なつかしく畳帋とり出て
 二の尼の近き霞にかくれ住     蕪村

 「畳帋」は鼻紙としても用いられる。となると、「二の尼」が出てきたところで蕪村なら当然『冬の日』の「狂句こがらし」の巻の十八句目は知っていただろう。

   二の尼の近衛の花のさかりきく
 蝶はむぐらにとばかり鼻かむ    芭蕉

 元は宮廷に仕える女性だったのだろう。何らかの事情で出家して八重葎の茂る荒れ果てたお寺で生活することになり、折から春で宮廷では近衛の花が盛りだとの噂を耳にする。自分自身を蝶に喩え、桜ではなく葎に留まる我が身を嘆き涙ぐむのだが、そこは俳諧で涙ぐむことを「鼻かむ」と表現する。
 高雅な趣向も卑俗な言葉で落とすのが芭蕉の俳諧だ。内容が高雅なままだから卑俗な言葉が却って雅語と同格に高められる。これを「俗語を正す」という。逆に卑俗な内容だと、どんな高雅な言葉を用いても、むしろ雅語を貶めることになる。
 蕪村は「鼻かむ」という言葉は使わない。「畳帋とり出て」で「鼻をかむ」=涙ぐむの連想を引き出そうとするのだが、芭蕉の句を知ってないと見落とす所だ。

 八句目。

   二の尼の近き霞にかくれ住
 七ツ限りの門敲く音        几董

 「七ツ」は申の刻で、日没より少し前、日の傾く頃を言う。電気のなかった時代は大体昼の仕事を終える頃で、ここで終わらないとそれこそ「日が暮れちゃう」。
 お寺のほうも七つで閉門となる。だが、そんな時間に門を叩く音がする。誰だろうかよくわからない。

 九句目。

   七ツ限りの門敲く音
 雨のひまに救の粮やおくり来ぬ   蕪村

 係助詞の「や」が入るので、「救いの粮のおくり来ぬや」の倒置となる。
 雨が止んだのでその合い間に急いで城門から兵糧を運び込む。ただ、「や」と疑っているので兵糧が運び込まれたのだろうか、というニュアンスとなる。
 断定せずに軽く疑う表現というのは連句では珍重される。そのほうが次の句が付けやすいからだ。疑問は反語に、反語は疑問に取り成すことができる。

 十句目。

   雨のひまに救の粮やおくり来ぬ
 弭(つのゆみ)たしむのとの浦人  几董

 「弭」は「ゆはず」とも読む。ゆはずは弓の筈で、筈は弓の両端の弦をかけるところを言う。そこが角でできているものを「つのゆみ」という。
 武士というと今では刀のイメージがあるが、古代の源平合戦の頃の武士は馬に乗り弓矢で戦うのが普通だった。
 お約束で前句の「や」を反語に取り成し、来たのは兵糧ではなく弓矢で狩をする能登の浦人だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿