昨夜は雨が降ったが、富士山では雪だったようだ。今朝見たら真っ白な富士山に戻っていた。
最近仕事が変わったせいで待機時間がなくなり、なかなかキンドルが読めなかった。久しぶりに電源を入れようとすると、これがうんともすんとも言わない。家に帰って充電したが、やはりスイッチが入らない。ネットで調べて、長押しすると再起動するというからやってみたが、電池の中にびっくりマークが入った画面が表示されただけだった。
またいろいろ調べ、USBケーブルを黒い純正のものに替え、しばらく放置したら、確かに直った。やはりネットの情報は頼りになる。
それでは、「冬木だち」の巻の続き。二表に入る。
十九句目。
頭痛をしのぶ遅き日の影
鄙人の妻(め)にとられ行旅の春 几董
王侯貴族や戦国大名などは政略的に他所の国に嫁に出されたりする。『漢書』匈奴伝下の王明君が有名で、この句もその俤だという。確かにそりゃ頭痛の痛い話だ。痛みで眉を顰めているとみんな真似しそうだが、それは王明君ではなく西施で、痛んでたのは頭ではなく胸の方だ。
几董さんのひょうきんな一面が出て、調子が出てきたようだ。
二十句目。
鄙人の妻にとられ行旅の春
水に残りし酒屋一けん 蕪村
ネットにあった『明治以前日本水害史年表』(高木勇夫)によると、安永四年には「鴨川水溢(四月)、宇治川洪水(五月)、鴨川洪水(六月)」とある。また『泰平年表』によると、安永二年にも「淀・伏見洪水」とある。酒どころの伏見もしばしば洪水に見舞われたようだ。
この句はどこの酒屋かわからないが、水害で一時的に資金繰りが苦しくなると、田舎の豪商に娘を嫁にやる代わりに資金援助をなんてこともいかにもありそうなことだ。蕪村も調子が出てきたか。
二十一句目。
水に残りし酒屋一けん
荒神の棚に夜明の鶏啼て 几董
洪水をのがれた酒屋を三宝荒神の御利益とする。三宝荒神は牛頭天王の眷属とされていて、家庭では竃神として台所に祀られている。
二十二句目。
荒神の棚に夜明の鶏啼て
歳暮の飛脚物とらせやる 蕪村
飛脚は手紙や贈り物だけでなく現金も運んだ。歳暮の飛脚というのは、当時は年末決算だったため、その支払いのお金を運んだりもしていたのだろう。
年も暮れ、正月の初日が昇る前にようやく支払いのお金が届いたか。こんな遅くまで走り回っていた飛脚に褒美を取らせる。
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