霜月も十日となり、空には半月が浮かんでいる。
では「詩あきんど」の巻の続き。今年中には終わらないかもしれない。
二表、十九句目。
鰥々として寝ぬ夜ねぬ月
婿入の近づくままに初砧 其角
月に砧は付き物で、出典は李白の「子夜呉歌」であろう。
子夜呉歌 李白
長安一片月 萬戸擣衣声
秋風吹不尽 総是玉関情
何日平胡虜 良人罷遠征
長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。
秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関の心。
いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。
ここでは出征兵士の帰還を待つのではなく、お婿さんがやって来る不安と気体で眠れない夜の話となる。男が婿入りするというのは、織物の盛んな地域の話だろうか。
二十句目。
婿入の近づくままに初砧
たたかひやんで葛うらみなし 芭蕉
前句の砧にオリジナルの李白の「子夜呉歌」を思い浮かべて、出征した婚約者が帰ってくる場面とする。
葛の葉は秋風にふかれて葉がめくれ上がって葉の裏側を見せることから、「恨み」とかけて用いられる。ここは「戦い止んで恨みなし」でもいいところだが、秋の季語を入れなくてはいけないので、「恨み」に掛けて強引に「葛」を放り込んだ感じがする。
二十一句目。
たたかひやんで葛うらみなし
嘲リニ黄-金ハ鋳小紫 其角
「あざけりに、おうごんはこむらさきをいる」と読む。
『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によると、宋の鄭獬の嘲范蠡(はんれいをあざける)という詩が出典だという。まだ訳してない。
嘲范蠡 鄭獬
千重越甲夜成圍 宴罷君王醉不知
若論破吳功第一 黄金只合鑄西施
范蠡は春秋時代、越王勾践に仕え、呉の夫差を打ち破り会稽の恥をそそいだという。そのときの伝説の一つがウィキペディアに載っている。
「范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。」
「嘲范蠡」はこれを揶揄するものだ。越王は范蠡の黄金の像を作ったが、本当に作るべきだったのは西施の像だろう、というもの。
これに対し小紫はコトバンクのデジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説によれば、
「?-? 江戸時代前期の遊女。
江戸吉原(よしわら)三浦屋の抱え。延宝7年(1679)愛人の平井権八(ごんぱち)が辻斬りなどの罪で死罪となったあとをおい,墓前で自害した。この話は幡随院(ばんずいいん)長兵衛と関連づけられ,「驪山(めぐろ)比翼塚」などの浄瑠璃(じょうるり),歌舞伎の素材となった。」
とある。三年前のまだ記憶に新しい事件を題材にした時事ネタといえよう。
平井権八は遊女小紫に入れ込んで、貢ぐお金欲しさに辻斬りをやった。そのことで、黄金の力で小紫を射止めると洒落て、結局平井権八は死罪になり、小紫が自害したことで戦いは終わり、そのことを嘲る、とする。
二十二句目。
嘲リニ黄-金ハ鋳小紫
黒鯛くろしおとく女(め)が乳 芭蕉
『連歌俳諧集 日本古典文学全集32』の注によれば、「おとく」はお多福のことだという。
ネタとしては、いわゆる業界で言う「びーちくろいく」の類で、シモネタといっていいだろう。黒鯛は「ちぬ」ともいう。
黄金の小紫に黒鯛のお多福を対比させ、対句的に作る相対付けの句。
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