2016年12月6日火曜日

 三十四句目。

   ちらばらと米の揚場の行戻り
 目黒まいりのつれのねちミやく 野坡

 「ちらばら」もそうだったが「ねちミやく」も謎の言葉で、多分元禄の頃には普通に使われていたが、江戸後期には死語になっていたのだろう。辞書だと「思い切り悪く、ぐずぐずするさま」とあって、「辞がねちみゃくして」という用例が載っている。
 「ねちみゃく」は「けちみゃく(血脈)」のような漢語っぽい響きがあり、「熱脈」「涅脈」「涅覓」「佞脈」などの字を当てる説もあるが、定説はない。
 目黒参りの目黒は目黒不動尊のことで、東京都目黒区下目黒にある瀧泉寺が不動明王を祀っている所からそう呼ばれている。
 江戸の中心地からそれほど離れていないので、日帰りで行けたのだろう。そうは言っても何か迷う所があったのか、米の揚場のあたりでうろうろしてなかなか着かない、ということか。「ちらばら」が影のことだとしたら、途中の高輪あたりで日が暮れてしまったということだろう。『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には「賑しき米上場ハ、品川高輪辺也。」とある。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)も「前句の米の揚場を高輪、品川あたりに転じたり。」としている。
 品川から目黒だと今だったら山手通りだが、その前身となるような目黒川に沿った道があったのだろう。「品川観光協会」のホームページには、
 「目黒不動から荏原神社までは目黒川に沿って居木橋村を通る道と平塚橋を経由して南品川に達するみちがあるが、文政10年(1827年)戸越村御屋敷絵図には目黒川沿いに品川道が記されている。」
とある。
 無季。「目黒まいり」は釈教。「つれ」は人倫。

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