今夜は寒冷前線の通過で雨風ともに強く嵐のようだ。明日は寒くなるのかな。
昨日の話だが、「ん」のつく食べ物はまだまだある。カツ丼、天丼、牛丼などの丼物を忘れていた。あと、カレー粉もクミン、コリアンダー、ウコン、シナモンなど「ん」の付くものが含まれているからカレーでもいいし、ナンやタンドリーチキンを添えれば言うことない。チキンと付くものも何でもいいし、タイ料理にはナンプラーも欠かせない。パクチーもコリアンダーの葉だから有り。
要するに大体何を食っても「ん」の付くものは含まれている。
芭蕉の次代の人は冬至だけでなく、二十四節季自体にほとんど関心がなかったのではないかと思う。立春以外はそれほど意識されなかったのではないか。俳諧の「春」も旧暦の一月二月三月で立春立夏とは無関係だし、彼岸の句が少ないのもそのためだろう。
芭蕉の時代はまだ明の滅亡のショックが尾を引いていた頃で、文人の中国崇拝が頂点に達するのは清の最盛期となる乾隆帝の時代(1735~1796)ではないかと思う。二十四節季もそれに伴い次第に庶民の間に降りてきたが、二十四節季が本格的に喧伝されるようになったのは案外明治の太陽暦採用以降なのかもしれない。
さて、「むめがかに」の巻の続き。
二十五句目
桐の木高く月さゆる也
門しめてだまつてねたる面白さ 芭蕉
(門しめてだまつてねたる面白さ桐の木高く月さゆる也)
冬の寒い季節の月だから酒宴を開くわけでもないし、管弦のあそびに興じるわけでもない。門を閉めてただ一人黙って寝るのもまた一興かと床につくものの、それでも眠れず夜中になってしまう。「高く」は桐の木だけでなく「月」にも掛かるとすれば、天心にある月は真夜中の月だ。本当に寝てしまったんなら月を見ることもない。
前句の「高く」「さゆる」の詞から、高い志を持ちながらも世に受け入れられず、冷えさびた心を持つ隠士の匂いを読み取り、その隠士の位で、「門をしめて黙って寝る」と付く。
門を閉めて、一人涙する隠士に、冬枯れの桐の木も高ければ、月はそれよりはるかに高く、冷え冷えとしている。高き理想を持ちながら、決してそれを手にすることの出来なかった我が身に涙するのである。
前句の語句をそのものの景色の意味にではなく、それに実景でもありながら同時に比喩でもあるようなニュアンスを読み取り、そこから浮かび上がる人物の位で、そうした人物のいかにもありそうなことを付ける。匂い付けの一つの高度な形であり、匂い付けの手法の一つの完成であり、到達点といってもいいかもしれない。
『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、「桐の木高く月冴ると云より転じ来て、晋人などの気韻をうつし取て、世を我儘に玩びたる隠者のおもむき也。無隣氏の民か、葛天氏の民かと云し淵明の俤も見みえて、余情あふるゝばかり也。だまつて寝たるとあしらひて、ちつとも寝ぬさまをおもしろさの詞にて見みせたり。翁曰、炭俵の一巻は、門しめての一句に腹をすゑたりと或書に見みえたり。」とある。
この「或書」とは土芳の『三冊子』のことであり、そのなかの「赤冊子」に、
「この事、先師のいはく、すみ俵は門しめての一句に腹をすへたり。試に方々門人にとへば皆、泣事のひそかに出来しあさ茅生といふ句によれり。老師の思おもふ所に非ずとなり。」
とある。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「窓影愛すべき夕べならん。隠逸の人ひとなどミゆ。高くといひ冴るといえるを、心の高明なるにとりて趣向せられけん。妙境妙境。○臼と十夜の二句を昼と見みさだめ、与奪して、夜分をつらね給へるなるべし。」とある。
打越の「十夜」が夜分なら夜分三句続いて式目に反することになるが、。「十夜念仏」が昼夜に渡って行なわれるもので、夜に限定されるものでないというところから、十夜の鐘に臼を貸すという二句を昼のこととして、あえて「寝たる」という夜分の言葉を付けている。
無季。「門」は居所。「ねたる」は夜分。打越の「十夜」は昼夜に渡って行われる十夜念仏のことなので、夜分にはならない。
二十六句目
門しめてだまつてねたる面白さ
ひらふた金で表がへする 野坡
(門しめてだまつてねたる面白さひらふた金で表がへする)
芭蕉の高雅な趣向の句の後に同じように高雅なもので張り合おうというのは却って野暮というもの。ここは卑俗に落として笑いに転じるのが正解。
大金を拾ったりすると、あぶく銭ということで、何かと周りからたかられたりして、酒でも振舞って奢ったりしなくてはならなくなる。それが嫌で、金を拾ったことは人に黙っていて、さっさと自分の部屋の畳替えに使ったら、ばれないように早々に門を閉めて、狸寝入りを決め込む。けち臭いけど、気持ちはわかる。前句の「だまって」に「拾う」が付く。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「いやしき面白ミに転ず。拾ふにだまるの語にらミあり。」とある。
こうしたあえて卑俗に落とした例としては、芭蕉の最後の興行となった「白菊の」の三十二句目に、
野がらすのそれにも袖のぬらされて
老の力に娘ほしがる 一有
の句がある。前句は、
杖一本を道の腋ざし
野がらすのそれにも袖のぬらされて 芭蕉
で、前句の杖を脇差にする人の姿を、既に死の淵に近い老人の姿と取り成した句で、このときの芭蕉の姿にも重なる。
好句が生れた時には、それに張り合うようなことをせず、あえて卑俗な句で謙虚さを示すのも、礼儀のうち。俳諧はあくまで談笑であり、全体にあまり深刻になりすぎないようにするバランス感覚も重要だ。
無季。
二十七句目
ひらふた金で表がへする
はつ午に女房のおやこ振舞て 芭蕉
(はつ午に女房のおやこ振舞てひらふた金で表がへする)
初午(はつうま)は旧暦二月の最初の午(うま)の日のことで、京都伏見稲荷を初めとする稲荷神社で初午大祭が催される。
ここでは前句の「ひらうた」を文字通り道で拾ったのではなく、初午の日に女房の親子にご馳走を振舞ったところ、そのご利益か臨時の収入があり、その「拾ったような」金で畳の表替えをする、という意味になる。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「与奪なり。」とだけある。与奪は前句の情を一度殺して新たな生命を吹き込むとでも言えばいいのか。換骨奪胎に近い。
『七部集纂考』(夏目成美著、年次不詳)には、「おやこハすべて親属の事をいふ。中国の俗語也。」とあるが、一般になじみのない中国の俚言をいかにも教養あるふうに持ち出すのはこの頃の芭蕉の軽みの風とは思えない。
季題は「はつ午」で春。初午詣での意味なので神祇。「女房」「おやこ」は人倫。
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