2016年12月14日水曜日

 今日は夕方から晴れ間が見えて、月が丸かった。久しぶりに満月を見たような気がする。冬の月、寒月といったところか。凍月というほど寒くはない。

 皆落て木末に丸し月の影   孤白

は『卯辰集』の句。枯れ枝に月というのは百年のちの、

 冬木立月骨髄に入る夜かな  几董

の句に受け継がれる。「骨髄に入る」というのは体の芯まで冷えるというだけでなく、冬木立の枯れ枝に我が身を投影させてのことではないかと思う。
 さて、「むめがかにの巻」の続き。初裏に入る。

七句目

   藪越はなすあきのさびしき
 御頭(おかしら)へ菊もらはるるめいわくさ    野坡
 (御頭へ菊もらはるるめいわくさ藪越はなすあきのさびしき)

 『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年五月序)に「御頭へ 前句の藪越はなすを押て、組屋敷などの附なり。」とある。「組屋敷」はネットで調べると「江戸時代、与力・同心などの組の者にまとめて与えられていた屋敷。」とある。これだとここでいう「御頭」は与力で、同心たちが組屋敷の藪越しに「御頭に丹精込めて育てた菊を取られてしまって、まったく迷惑な話だ」とか話しているということになる。
 与力同心は直接罪人に触れる「不浄役人」で被差別民がその職務に当たっていたことを考えると、前句の所にあった『俳諧古集之弁』の「在所」はやはり被差別部落だったか。
 いずれにせよ上下関係の厳しい世界で、御頭の言うことは絶対。菊を見て「くれないか」と言われて断れるもんではない。

季題は「菊」で秋。植物で草類。植物が二句続くが、二句までは問題はない。「御頭」は人倫。

八句目

   御頭へ菊もらはるるめいわくさ
 娘を堅う人にあはせぬ     芭蕉
 (御頭へ菊もらはるるめいわくさ娘を堅う人にあはせぬ)

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)の三つは大体内容が似ているので、『俳諧古集之弁』系と言っておこう。『俳諧古集之弁』系は前句の「菊」を娘の名に取り成しての付けだとしている。これだと、御頭が嫁を探していてうちのお菊に白羽の矢が立ったら迷惑とばかりに、娘を御頭に合わせないように隠している、という意味になる。
 その他の系統のものは、菊を趣味としている御頭をいかにも堅物な人物と見立てて、そういう親父は娘に虫が付いてはいけないとばかりに人に合わせないようにしていると解釈する。これだと位付けになる。
 たとえば、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)は、「菊もらはるる迷惑と云やぶさかなる情より起し来て、六十前後の老と思ひよせたり。おもての色飽まで黒く、半白の髪の終にそそけたる事なくうるみ鞘の大小に葛布の古袴着て、極ていふ今の若きものは不人品也。容易に娘など出すべからずと、小家をつつまやかにおさめたるさまを余情に見せたり。」とある。
 この句は『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)に「ことに人のよくおぼえたる俳諧也」とあるように、かつては一般によく知られた芭蕉のヒット作の一つだったようだ。それだけに、いろいろ解釈するものがあり、そうした巷での論議を呼ぶというのも、人気の秘密といえるかもしれない。
 私は前者の「菊」を「お菊さん」のことと取り成したとする説を採りたい。というのも、頑固親父の描写という説も確かに面白いが、それだと単純な「あるあるネタ」だけに終おわってしまうし、展開にも乏しい。
 菊を大事にするのはともかく、娘を大事にするあまりに人に会わせないというのは、あくまで独占欲から来る私情であり、こうした情は風流に欠ける。
 本当に迷惑しているのは、実じつは娘の方だったるする。むしろ、大事な家族を横暴な組頭から守るという方が、より人間としての真情が感じられるため、句としても深みがある。

無季。「娘を人に会わせぬ」が恋かどうかも、かつていろいろ論議があったようだ。中世であれば、自分の切ない恋の情を詠んだもの以外は恋句ではなかったが、江戸時代ではもう少し緩く解釈している。他人の横恋慕を恐れて娘を隠すのも、恋の一場面といえば一場面であり、恋句としても間違いではない。「娘」「人」は人倫。人倫が二句続くが、二句までは良い。

九句目

   娘を堅う人にあはせぬ
 奈良がよひおなじつらなる細基手   野坡
 (奈良がよひおなじつらなる細基手娘を堅う人にあはせぬ)

 「細基手」は今でいう小資本のこと。というわけで舞台は組屋敷や足軽屋敷から商人の家に変わる。娘を嫁にくれという商人が何人も足しげく通ってくるが、みんな似たり寄ったりの小資本の連中で、我が家の格には合わないとばかりに娘を隠しておく。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「娘をあハせぬを豪家と見て、乏しき商人の趣向を設け、うらやむ情を含めたらん。尤自他の変なり。○奈良がよひの語ハ、伊勢が艶詞の面影ありて、松をしぐれの染かねし恋をかくせり。さハ二句の間の余情といハん句作妙なり。」とある。
 「松をしぐれの染かねし恋」は『伊勢物語』ではなく『新古今和歌集』の、

 我が恋は松を時雨の染めかねて
   真葛が原に風さわぐなり
              慈円

ではないかと思う。『伊勢物語』で奈良と言えば、冒頭の「昔、男初冠して、平城の京、春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住けり。‥‥」のことか。
 いにしえの身分違いの恋の情を、奈良の豪家のところに通う小資本の商人の情に、いわば今風に翻刻したということか。
 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には「奈良がよひ 奈良ニ遊女町アリ、木辻ト云」とあり、『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)には「奈良ノ木辻遊郭ニ通フ若者共ノ俤ナリ。」とある。奈良の木辻遊郭はウィキペディアによると西鶴の『好色一代男』にも「木辻」の名が出てくるというから、芭蕉の時代にもあったのは確かだろう。ただ、句の内容からすると直接は関係なさそうだ。

無季。「奈良通い」は恋。「奈良」は名所。「つら」「細基手」はどちらも人倫にはならない。「つら」は体の一部にすぎず、「細基手」は商売の状態を表す言葉にすぎない。人倫を三句続けてはいけない場面なので、うまく人倫の制をかいくぐっている。

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