「むめがかに」の巻も「ゑびす講」の巻も『炭俵』だが、その『炭俵』に冬の猫の発句もある。
初霜や猫の毛も立(たつ)台所 楚舟
昔の台所は北側の寒い所にあることが多かった。初霜が降りる様な寒い朝、猫が台所で毛を膨らませている様を詠んだものだろう。
凩(こがらし)や盻(またたき)しげき猫の面(つら) 八桑
猫は普通あまり瞬きをしない。ゆっくり瞬きするのは愛情表現だという。もし盛んに瞬きするようなら目の病気を疑った方がいい。
さて、「むめがかに」の巻の続き。
十三句目
ひたといひ出すお袋の事
終宵(よもすがら)尼の持病を押へける 野坡
(終宵尼の持病を押へけるひたといひ出すお袋の事)
前句のお袋を存命の人として、尼の持病の看病を、お袋もそうだったからと一心に行うさまを付けている。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「旅などに寝て慕ふさまならん。哀ふかし。但し、存命の人にかえたり。」とあり、『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には「よもすがら 看病ヲシナガラ、我母ノ持病ノコトヲ云出ス也。」とある。
持病というと代表的なのか「癪」で、ウィキペディアによれば「近代以前の日本において、原因が分からない疼痛を伴う内臓疾患を一括した俗称。」だという。江戸時代の読者も明治の人も大体持病というと癪のことだと思ったのだろう。『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)に「尼の持病を押える人、五十余の女にてもあらん。お前の母親も癪持で有た、或ハお前の事のミ案じてござつた抔(など)いふなり。」とあり、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)にも「私がお袋も癪持で」とあり、『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にも癪とある。
無季。「終宵」は夜分。「尼」は人倫、釈教。
十四句目
終宵尼の持病を押へける
こんにゃくばかりのこる名月 芭蕉
(終宵尼の持病を押へけるこんにゃくばかりのこる名月)
終宵(よもすがら)という夜分の言葉が出たことと、そろそろ月を出さねばという所で、すかさず月を付ける。夜分三句去りなので、ここで出さないと花の上座の十七句目まで出さないか、夜分にならない明るいうちの月を出すことになる。
名月の宴のさなか尼が癪をもよおし、看病して戻ってきたらコンニャクだけが残っていて、他の御馳走はみんな食べられていたという一種のあるあるネタで、前句の看病の重苦しい雰囲気を笑いで振り払おうというものだろう。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「暁ちかく酒盛を覗きたらん。執中紳に銘ずべし。」とある。『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)も「名月ハ人々酒のミものくひして、夜すがら月をながめあそびしに、ひとり尼の持病を押えゐて、月も見ざりしとの附合ならむや。」とある。『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)にも、「其看病人夜フケ空腹ニナレバ、物クハントテ食物ヲ尋ルニ、イササカコンニャクノコリテアル暁方ノサマ也。」とある。こうした解釈でいいと思う。
『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「尼ヲ老人トミテ、歯ニ合ヌ蒟蒻ヲ附玉へり。」とある。看病してたら御馳走がなくなっていて蒟蒻だけ残っていたというだけでなく、その蒟蒻がまた老いた尼には噛めないと二段落ちになるというのだが、そこまで考えなくてもいいだろう。
『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年五月序)には「こんにゃく斗 月見の夜の硯ふたやうのもの也。」とある。「硯ふたやう」というのは目出度い席などで硯の蓋に料理を盛り付けることで、最初は本物の硯の蓋を使っていたが、やがて専用の硯蓋状の容器を用いるようになったようだ。硯蓋には何種類もの料理を彩り良く盛ることが多い。
季題は「名月」で秋。夜分、天象。
十五句目
こんにゃくばかりのこる名月
はつ雁に乗懸下地敷て見る 野坡
(はつ雁に乗懸下地敷て見るこんにゃくばかりのこる名月)
街道の馬を利用する時には、まず馬に荷物を載せ、その上に人が乗るため、そこに薄い座布団のようなものを乗せる。これを乗懸下地(のりかけしたじ)という。前句を宴席から旅体に転じる。
句は倒置で「はつ雁に乗懸下地敷てこんにゃくばかりのこる名月を見る」となる。蒟蒻は昨日旅立ちの別れを惜しんで集まった人たちから振舞われた御馳走の残りであろう。
マガンは冬鳥で名月の頃から日本に渡ってくるため、名月に初雁は付け合いとなる。物付けと言っていい。渡り鳥を出すことも旅の情につながる。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「残酒に朝出を祝ふならん。前句と時日を異にしたるの作略あり。」とある。
季題は「初雁」で秋。鳥類。乗懸下地は旅。
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