2016年12月26日月曜日

 今年ももうすぐ終わりということで、何とか「むめがかに」の巻も終わった。

三十四句目

   千どり啼一夜一夜に寒うなり
 未進の高(たか)のはてぬ算用     芭蕉
 (千どり啼一夜一夜に寒うなり未進の高のはてぬ算用)

 千鳥の鳴く冬の寒い時期は、農村では収穫も終わり、村長は年末までに納める年貢の計算に追われる季節でもある。不作が続いたのか年貢を払いきれず、未進となった金額が膨れ上がって、外も寒いが懐も寒くなる。
 『月居註炭俵集』(著者不明、年次不明、文政七年江森月居没す)には「寒うなるといふに、貧き人の未進と附たり。」とある。「寒い」にダブルミーニングを読み取ってのことだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)にも「貢税の事なり。○はてぬの語、前句を結べり」とある。前句の一夜一夜期限が迫っていることに対し「未進の高のはてぬ」と結んだというわけだ。千鳥に「鷹」を掛けて縁語にしていたとすれば更に芸が細かい。
 芭蕉さんは伊賀藤堂藩に仕えていたときも料理人として調理場のお金の管理などもやっていたのだろう。江戸に出てきてからは日本橋本船町(ほんふなちょう)の名主、小沢太郎兵衛得入(とくにゅう)の家の帳簿付けをやったというから、お金のことにはかなり詳しい。この歌仙の四句目の、

   家普請を春のてすきにとり付て
 上(かみ)のたよりにあがる米の値  芭蕉

もそうだし、

   灰うちたたくうるめ一枚
 此筋は銀も見しらず不自由さよ    芭蕉

   今のまに雪の厚さを指てみる
 年貢すんだとほめられにけり     芭蕉

   名月のもやう互ひにかくしあひ
 一阝(いちぶ)でもなき梨子の切物  芭蕉

   吸物で座敷の客を立せたる
 肥後の相場を又聞てこい       芭蕉

など、経済ネタも得意としていた。

無季。

三十五句目

   未進の高のはてぬ算用
 隣へも知らせず嫁をつれて来て    野坡
 (隣へも知らせず嫁をつれて来て未進の高のはてぬ算用)

 忙しいということもあるし、未進の年貢が膨れ上がっていて祝言を挙げる余裕もないということで、隣近所にも知らせずにこっそりと嫁を呼び寄せたということか。
 通常は花の定座になるところだが、花を二十九句目に引き上げたため、ここに「花嫁」を匂わす「嫁」を出したとも言われている。「花嫁」「花火」等、桜の花ではなくても正花と扱われる言葉がいくつかあった。
 中世連歌の式目「応安新式」では、「花」は一座三句物で、それとは別に一句「似せ物の花」という、いわば比喩としての花を出すことができた。『文和千句第一百韻』には、

   門(かど)は柳の奥の古寺
 これをこそ開くとおもへ法(のり)の花  良基

の句がある。
 曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の雑の部にも正花となる言葉の一覧があり、植物でないものとしては、花火、花相撲、花燈籠、作花、花塗、花かいらぎ、茶の花香、花形、花子の狂言、燈火の花、花がつをといった言葉が見られる。
 「けうばかり」の巻(「けふばかり人も年よれ初時雨」を発句とする歌仙)では、十三句目に、芭蕉が「宵闇はあらぶる神の宮遷し」という月の字のない秋の夜分の句を出したために、月の定座に月を出せなくなり、十五句目の「八月は旅面白き小服綿 酒堂」を月の句の代用とした例がある。こういうちょっと苦し紛れな展開も、「機知」ということで連句の面白さの一つでもある。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「せつろしき時節を憚れるや。○花の座なれバ、花嫁の響をもていへりといふ説あり。さもあれ一座の説といふべし。」とある。「せつろしき」は忙しいということ。京都では今でも「せつろしい」という言葉を使うらしい。

無季。「嫁」は恋。人倫。通常、名残の裏には恋を出さないのが常だが、一巻に恋句が少なく、花の定座をくり上げたために名残の裏に花がないため、一巻に花を持たせる意味であえて恋を付けたのであろう。

挙句

   隣へも知らせず嫁をつれて来て
 屏風の陰にみゆるくハし盆   芭蕉
 (隣へも知らせず嫁をつれて来て屏風の陰にみゆるくハし盆)

 「屏風」があるということで、前句を貧しい家ではなく、裕福な家に取り成す。挙句(あげく)ということで、どういう事情でとか重い話題は避け、ただ、菓子盆が隠して置いてあるのを見て嫁が来たのが知れるというだけの句で、あくまで軽く流しているが、花嫁に菓子盆とあくまで目出度く終わる。
 『月居註炭俵集』(著者不明、年次不明、文政七年江森月居没す)に、「爰(ここ)にては貧き人にもあらず。唯ひつそりと嫁を迎へしを、近辺の人が来て、菓子盆の見ゆる故、嫁でも迎へたかと思ふなるべし。」とある。『俳諧古集之弁』系の註には「富貴の変あり。」とある。
 無季の挙句は、花の定座が確立された江戸時代には珍しいが、定座のなかった中世にはそう珍しいことではない。宗祇・肖柏・宗長の三人による中世連歌の最高峰ともいえる『水無瀬三吟』は

   いやしきも身ををさむるは有つべし
 人ひとをおしなべ道ぞただしき  宗長

というふうに無季で終わっているし、『湯山三吟』は、

   露のまをうき古郷とおもふなよ
 一むらさめに月ぞいさよふ    肖柏

と、秋で終っている。
 かえって、花の定座が確立されたことで、挙句は判で押したように春の句になってしまい、変化に乏しい。この巻で花の句を引き上げたのも、そうした月並を打破しようという一つの試みだったのかもしれない。ただ、それでも目出度い言葉で収めるところは近世的。中世の連歌はもう少しメッセージ的な終わり方をした。

無季。

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